つらつらと百舌P作品(中)


特定のテーマのある記事でおめでとうを言うのは、自分の中で何か違う感覚があるので、あずささんに誕生日おめでとうを言うには、また覚え書きの更新をしないといけませんね。いつになるだろう?

※記事中に百舌P各作品のネタバレ、引用を含みます。


『トランジスタ』
 視点人物はマネージャー、つまりアイドルの一番そばで仕事しているけれど、プロデューサーの立場には立てない人物。マネージャーは雪歩を、雪歩はプロデューサーを見ていて、プロデューサーは鈍感だからきっと雪歩の想いに気づいていない、という一方通行の構図。
 決して、アイドルにとっての唯一絶対=プロデューサーになれない存在の物語。ファン代表Pものとでも名付けようか、と言ってもファン代表Pを使った例はあまりない気がするが、一つの系譜をもつテーマだ。彼女は決して自分の方は見てくれない、という感覚がある人にとっては身につまされるというか、感じるところのあるテーマだと思う。ちなみに私には、あるようで無い。

 百舌Pはこれまで、雪歩が出る動画を3本(『Radio Time -8月第4週-』、『彼女の春の霜』、本作)書いているけれど、3本のうちでは一番というか唯一、"雪歩でなくても成り立つ" 側面の強い動画だと思う。ニコマス的には春香の定番テーマだし、他にも同じポジションに置いて似合うだろうアイドルは幾人もいる。
 逆に、ではこの動画のどこに雪歩らしさ、雪歩ならではの部分が出ているかと考えると興味深いものがあるが、たとえば

「私は今が幸せですよ」

という台詞がそうだと思う。プロデューサーは自分の心に気づいてくれないけれどプロデューサーに会えば自分の胸は高鳴って、隣にはマネージャーがいつもいて、ステージに立てば最高のアイドルになれる。そんな今が幸せだ、続いてほしい。
 『Radio Time -8月第4週-』の雪歩にも『彼女の春の霜』の雪歩にも、そういう、いつか崩れるだろうと自覚している今を愛しい、大事にしたいという感覚がある。(但し『彼女の春の霜』の場合、いつ崩れるか、という点に甘い見通しを持っていたわけだが。)
 前回述べたように、”いつか崩れる今が愛しい”という感覚は、百舌P作品の視点人物に広く見られるものである。で、それをアイドルに言わせるならば、それを知覚するアイドルがいるとすれば、それは雪歩なんだ、一番似合うのは雪歩なんだ、という感覚が、作者にはあるのだと思う。個人的な感覚としても、それはとても腑に落ちる。
 『トランジスタ』のラストシーンは、この「私は今が幸せですよ」という言葉を介在させることで、恋愛感情においては決して交われない筈の雪歩とマネージャーの間に、無言の連帯感というか絆というか、そういうものを感じさせている。それが、決して届かない想いを抱えて見つめ続ける、というマネージャーの視界のみで見た時の物語の絶望的苦しさを、包み込んで和らげているのがこの作品の妙味だと思う。

 昨日も出てきたけれど、愛識Pの『僕が電話をかけている場所』は、電話を通じて(大部分は)一方通行の交わらない想いが次々連鎖していく話だが、そのラストシーンはやっぱり、一方通行関係の筈の春香とPの間の特別な絆を見せる形になっている。あと、前に書いたことがあるが、ストレートPの『あっというま劇場』においては、Pと春香の間には絶対にフラグが立たないが故に描ける、春香とPの間の特別な関係がある。これも構図としては似ている。まあ何か、そういう関係を描く系譜がある気がするよね、ということと、どうも私はそういうのに弱いらしい、ということ。
 更に脱線すると、百舌Pの動画では非常に多くの例で、季節感や身体的な暑さ寒さの感覚と、登場人物の心理や人間関係がリンクしているが、こういう表現を得意とするノベマスPは他にもいて、たとえば愛識Pはその最たる例だとか。あるいは、序盤に提示したキーワードやセンテンスを意味内容を変化させながら反復する手法も小説の常套手段で、ノベマスPで言えば、たとえばコラーゲンPやkye氏がとりわけ得意としているが、百舌Pはそれをかなりの長文でやってくるよね、とか。まあ連想ゲームは、こじつけようと思えばいくらでもできるものである。


『インダクタ』
 『test』『Si,Si,sinorina』では、「彼女」の特別な輝きとは、すなわち思春期の女の子の持つ何物かであり、「彼女」と「私」の間にある溝とは、すなわち思春期の女の子と大人の溝だと説明される。(ちなみに、視点人物が大人のプロデューサーではない『彼女の冬の色』でも同じだ。)
 この構図はしかし、視点がプロデューサーでもアイドルでもない人物におかれる電子回路シリーズで、変化を見せる。『トランジスタ』にもその兆候はあるが、明示されるのは『インダクタ』においてだ。『インダクタ』の視点人物は765プロの女性事務員だ。従ってそこに、異性異物としての思春期の女の子に惹かれる、という構図はない。では、アイドルと「私」の間に溝はないのかといえば、それは厳然として存在する。

「アイドルの近くで仕事をしていると、あたかも自分自身も輝いているような錯覚を覚えることがあ  る。
 そしてテレビの向こうで輝く彼女たちと、安いタイツ越しに尻をかきながらサービス残業の自分。あ まりの違いに愕然とすることはもっとある。」

『インダクタ』における「彼女」は律子で、兼任事務員として「私」と肩を並べて仕事する彼女は、"思春期の眩しくてどす黒い何かが詰まった理不尽な存在"などではなく、しかし魅力的で、優秀で、目の前に輝かしい未来が拓けている、眩しくて手の届かない存在だ。

 振り返って見比べると、自分を大人、「彼女」を思春期の女の子と位置づける第1期百舌P作品の構図は、勿論それによって「彼女」の魅力を描き出す意味があるし、その魅力はその視点・構図だからこそ描き得るものだけれども、同時に視点をプロデューサーに置くが故の固定された視界であることがわかる。
 「俺」には立場も責任もあり、「彼女」はビジネスの対象であるべき存在で、しかし「彼女」は「俺」に惚れていて、「俺」もどうしようもなく「彼女」に惹かれている、という関係。「俺」がその関係を自己納得させるためには、「彼女」の魅力も想いも言葉も、全て一過性でいずれ崩れさる儚いものとしなければならない。だから、『test』『Si,Si,signorina』において「彼女」が「俺」に向かってどんな言葉を発しようとも、それは「俺」の心には絶対に届かない。

 電子回路シリーズにおいては、そうではない。『トランジスタ』では、「私は今が幸せです」という雪歩の言葉は、マネージャーにとって大きな意味を持つものだった筈だ。
 『インダクタ』ではより明確に、「彼女」の言葉が意味を持つ。確かに「私」から見れば、「彼女」は輝かしく手の届かないアイドルで、引き比べれば自分はみすぼらしく何の輝きもない存在だ。でも、「彼女」の視界に映る「私」は、「私」が自己規定する「私」と同じだろうか? 
 プロデューサーの視界においては、"「彼女」の目に映った「俺」"は「俺」にとって何の意味も持たなかった。だが、『トランジスタ』においては、 ただ手を触れず眺めるべきアイドルではなく、共に仕事する同僚であり後輩であり同性の友人でもある「彼女」の言葉は、「私」に届く。律子の言葉は同僚の視界を変え、アイドルを間近にして暮らすための明確な立ち位置を与える。そして彼女たちの間には、彼女たちにしか共有できない絆がある。
 こうして電子回路シリーズは、就中『インダクタ』は、視点を第三者に移すことで、プロデューサーという固定された視界から解き放たれた別のアイドル像、アイドルとの関係を構築した。アイドルのすぐそばで仕事する、アイドルの居る世界で暮らす。それは別に苦しいことでも切ないことでもなく、こんなにも素敵な風景じゃないか、と。

 ちなみに、『もりのやよいちゃん』のみを例外として、百舌Pの動画には必ずプロデューサーという存在が登場または言及されるわけだが、『インダクタ』はプロデューサーが女性だと明言されている唯一の例である。(もっとも、言動や先入観でこちらが男と思い込んでいただけで、ほとんどの動画でプロデューサーの性別は確定できないのだが。)
 そして、投稿を重ねるにつれ一作品に登場する人物、描かれる関係線の数は増加していて、今のところ『インダクタ』がその最大値となっている。すなわち、『test』『Si,Si,signosina』では、情景の中に「俺」と「彼女」しか居ない。『ビッ千早』では、「俺」と「彼女」各々の現在の人間関係が言葉の端で匂わされているが、そこに話の焦点が向くことはない。四季シリーズは、基本的には「私」と「彼女」の二人からなるが、物語の影にはいつも二人をプロデュースするプロデューサーの存在がある。『トランジスタ』では、「俺」(マネージャー)「彼女」「彼」(プロデューサー)の3人。そして『インダクタ』では、「私」、律子、小鳥、律子のプロデューサー、の4人。ヴァリエーション。

そんなところで、今日も2作触れたのみで私の活動限界に達した。また明日?



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