P名言ってみろ、とか言われたので  もしくは、終末観、など。


私がニコマスと出会った時の話は、このブログを始めた時に書いた気がします。

オッパオP(かぶとむしP)、ストレートP、下着ドロP、フリージアP、愛識P、事故米P、ペデューサーP、瑞P、憂鬱PそしておしるPと、だいたいこんな順番でしたか。このあたりまでが、私がノベマスを見始めて最初期に出会ったPでした。

PVだと、ぽりぺくんP、こんにゃくP、ななななな~P、がぶ呑み、RidgerP、ワイルドランP、てってってーPと、ここらへんまでが「一番最初」の感覚になるなあ。

その後もニコマスを見ていて、いくつも大切な出会いはあったわけですが、自分の原点ということであれば、どこまでいってもやっぱりそれはこの「一番最初」の出会いで、そこで感じた楽しさの続きをみたいと思って私はニコマスを見続けていたし、今もやっぱりそうなんだと思います。

私にとってニコマスそのものでありアイマスそのものであった、最初に出会ったノベマスPたちの連載も、いつしか一人止まり二人止まり、もう何人も残っていません。しかし2年以上の間、この人たちの動画は消えることがなかったので、私はいつでも振り返れば手の届く場所に原点を持てました。それは、とても幸運なことだったと思います。


以下余談。



「仮にあなたの持つ全ての肩書きを捨てたとしても、なおあなたの中に輝くモノは、一体なんですか?」

ヘンリーPの『七六五家蜘蛛の会』で、会に呼ばれたゲストが必ず最初に問われる質問があって、それがこれ。
これはアイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』定番の質問


"How do you justify your existence?"
(あなたは何を以てあなたの存在を正当化しますか?)

に対応した台詞であるわけで、ヘンリーPオリジナルの訳なのか、そういう訳文があったのか知りませんが、いずれにしろ名文だと思います。
あなたの原点はなんですか、と平易に解釈すれば、ことアイマス・ニコマスの中の話に限って言えば、訊かれて即答できる人は少なくないだろうと思います。それは、私が初めてプレイした誰々というアイドルです、それは、いついつに見た◯◯Pという人の××という動画です、などと。
で、私にもこの質問への答えはありますけれども、それはこのブログのあちこちに散りばめて書いてあるので、ここでする話でもなくて。

ならば、何の話をしたいんでしょうねえ、私は。たとえば原作の尊重とか原作への愛情とか、そういう話ですかね。
ニコマスでもなんでもいいですが、我々、思い入れがあるからこそその対象にうち興じているわけで、そこには自分の信念なり思想が当然存在するわけです。そうすると、その信念思想であるとか思い入れの在り方だとかに、反するものの存在が目に入ってくる。それは具体的な他人だったり、漠然とした世間の空気だったり、あるいは己自身だったり、いろんな場合があるでしょう。
そこで、例えばやっぱり原作を大事にしない二次創作は駄目だよね、この界隈の人はそういう原作愛がないのばっかりだよね、あの連中は売名や金儲けのためにこのジャンルを利用してるだけじゃないの、最近の流行は見た目の派手さばかり追求して発想とか基本的な技術がとか何をみせたいのかがわからない、等々、いろいろな形がありますが、そういう言葉が発せられる。それは人間の自然な感情から起こる普遍的な行動であり、そこに悪意はありません。

私自身、このブログを始めて以来、いろんな人やものを否定したり非難したりしてきたし、現にその結果傷つけた人がいることを知っているので、これから言うことは、全部自分に跳ね返って突きつけられてくるんですけれども。
二次創作であると、権利侵害であると、人様のものを借りてやっていることだと、公式に黙認されてなんとかやっているんだと、そういう世界に対する態度はどうあるべきなのかという問題は勿論あるわけですが、それ以前にというか別次元の問題としてですよ。一個の人間として、人間のやっている行動を・人間の作ったものを否定する、という行為がそこにあるわけですよね。否定される側も一個の人間であって、何らかの意思が在るからその人は作品を生み出している。そこには人間の意思というものの尊厳、人間の行為というものの尊厳があるんじゃないか、という話です。某Pが使った言葉をそのまま借りれば、そこにRESPECTはあるの? ということですよ。その言葉を発する時、あなたは他人の意思の尊厳を、他人の行為の尊厳をRESPECTしてますか、という話。うん、自分の耳が痛いわ。
他人をRESPECTしているか、というのは結局自分自身をRESPECTしているか、という問題です。だから、たとえば私が昔作ったものは未熟で原作愛の欠片もないような動画で、なんていうのも同じことなのですが。

つまるところ、言葉を発するものは全て、その瞬間一つの問いの前に立たされています。

"How do you justify your existence?"

あなたは何を以てあなたの存在を正当化しますか。
ごく皮相的な表現をするならば、たとえば愛という言葉、原作尊重という言葉であなたは自己の存在を正当化できますか? と。あー、違いますよ! 所詮二次創作なんて愛があろうがなかろうが権利侵害、とかお前自身は愛のある作品をつくっているのかよ、とかそういう話じゃないんだよ! 比較計量の問題じゃない、言行が一致しているかという問題でもない。他人にどうジャッジされるかという問題じゃないんだ。自己批判しろっていう話でもない。わかりにくいですかねえ。
でも、わかるでしょう、"justify your existence "とは、誰かに向かって自分を弁明しろ、ってことではない。

"justify your exsitence"の本質を、「正当化」という訳語よりずっと鮮やかに照らし出すのが、

「仮にあなたの持つ全ての肩書きを捨てたとしても、なおあなたの中に輝くモノは、一体なんですか?」

という文章です。
「あなたの中に輝くモノ」は、一体なんですか。
言葉を発するとき、あなたはあなた自身の「中に輝くモノ」を大切にできていますか。
ならば、他人の「中に輝くモノ」もまた見えるのではないですか。
そういう話です。

切り口を変えるならば。
「物語の九割は読者の能力次第で面白いかどうかが変わってしまう」と喝破したのはミカドPで、そのミカドPの文章も今は読むことができませんが。我々は大抵の物事について無知であり、知る気もなく、理解する気もないかまたは理解する能力がなく、自分が無知無理解であることすら知りません。だから、真面目に学問をやっている学者ほど明快に断言できる言葉が減るわけですが、しかし知りもしないことに口を出すな、というのは不可能な話で、それを守れば人は一生涯黙って過ごす他なくなります。
我々は無知な事柄についても語り、判断せざるを得ない。ならば、それを成立させるためにRESPECTというものが存在すべきなんじゃないか、と思うのです。何をすればRESPECTしたことになるのか、と言われたら明快な答えはありません。また、RESPECTの気持ちを持てば誰も傷つけずにすむかと言ったら、そうでもありません。そこに正解はありませんが、しかし意識はあっていいんじゃないか、と。

あるいは。
他人をRESPECTするのも自分をRESPECTするのも本質は同じという話。我田引水をしますと、私は人が己の過去を否定したりなかったことにする姿を見るのが好きではありません。(その中には動画や文章を消すという行為を含みますし、無論それだけでもありません)つまるところ、それは「全ての肩書きを捨てたとしても、なおあなたの中に輝くモノ」を大切にする行為だとはとても私には思えないからです。
そんなことを言いつつ、私自身は自己否定の言葉を吐きますし、何か自分の手に余ることがあったらこのブログを畳んでトンズラする腹づもりはいつもしているので、自己矛盾の塊のような話ではありますが。


うーん、そんな話なんですかねえ、私がしたかったのは。違う気がするなあ。じゃあ、自分自身の話でもしてみますか。

私がXbox360を購入し、初めて自分でゲーム「アイドルマスター」をプレイしたのは大体一年半くらい前のことです。つまりニコマスと出会ってからそれまでの1年以上、私はゲームを一秒たりともプレイすることなく、自分は春香ファンでありアイマスファンの端くれであると自認していたことになります。で、『アイドルマスター2』の発売以来、様々な方の『2』プレイ記事を読む機会を得て、自分のアイマス初プレイはどんなだったっけ、と自然と回想することになったわけです。

まあね、それはそれは、大きな衝撃でしたし感動でしたよ。自分がコントローラーを握っている先でアイドルが喋り、歌い踊り、戦っているんですから。で、ニコ動の画面を通して見るのと自分がじかにプレイするので体感できる情報の違いはやっぱりあるわけで、その現実の凄さ。
あるいは、ある意味、というか、最初がニコ動を通じてであったからこそ、いつかは自分の手で、というのが一つの壮大な夢にもなり得るもので、その夢の達成という感動。
けれども、そのプレイ体験の以前と以後で、私自身の内面に、私とニコマス・アイマスの関係に変化があったかと言えば、本質的には何も変わらなかった、というのが私自身の結論です。

もちろん、ことに自分でアイマスについて文章を書くようになってみれば、プレイしたという過去の果たす役割はいろいろあります。
単純な話、「ぼくのかんがえたはるかさんとちがう」という主張をする時に、いやあ私はニコ動でしか彼女を知りませんけど、と前置くのと、無印をやりこんだ者ととしてあのコミュとこのコミュを根拠に分析するならば、とやるのでは他人に与える心証・説得力が全然違いますからね。
従って、プレイしたという事実は便利ですし、また対価を払うことなく娯楽を得ているという後ろめたさを薄くもしてくれますが、それはただ便利でありがたいというだけのことです。

では、なんでそれが本質的に私に変化をもたらすものではなかったと言い切れるのか。
それは、私にとってアイマスって何なのだと、私が好きなものって本当は一体なんなんだ、という問いを掘っていけば、それはストレートPの見せてくれた春香さんであり、ぽりぺくんPの見せてくれた春香さんであり、ななななな~Pの春香さんであり、そこが原点であり終点である、という結論にどうあっても行き着くからです。
御三方とも、まさかこのような形で同列に並べられることがあろうとは夢にも思わないでしょうが、私の場合はそうなっちゃったんだから仕方がない。

ゲームをプレイした結果、私が得たものはなんであったかと言えば、このゲームには私から最初から出会っていた春香さんがいる、という確信です。このゲームにいるのは、私がニコ動の画面を通じて、多くの春香Pから見せてもらったのと、寸毫も変わることのない存在であるという確信。
RADWIMPSの『謎謎』に

「君は生まれた時にはすでに出会ってるのに
 僕はこの前やっと出会えたものはなーんだ?」

という歌詞があって、歌の文脈上はちょっと違う意味なんでしょうけれども、私にとってはこういうことです。
僕が君と初めて対面した時、僕は基本的な操作方法すら判らずわたわたしていて、気づいたら画面にはもう君がいて、僕は「誰だ! 警察を呼ぶぞ!」という選択肢を選んだことになっていて、君はそれを聞いて微笑んで消えた。だけど、そのずっとずっと前から僕は君を知っていて、君は僕が知っている通りの存在だったんだよ。

えーと、なんでしたっけ。
たとえば、ストレートPの描く天海春香というキャラクターが、ゲーム「アイドルマスター」の天海春香というキャラクターとそっくりであるか、と言ったらそうではない。だけどストレートPの春香は私にとって春香さんそのものだから、根拠があろうがなかろうが、私はこの春香さんとこの春香さんを好きな自分を全力で肯定しますよ、ということです。
ストレートPも、まさか自分の作品がこんな風にダシに使われるとは夢にも(ry。


私の書きたいことってこれだっけ。まあそうなんだけど、今ここで書きたいことなのかどうかはよくわからんね。

ようするに。

今の気持ちを例えるならば。
積み動画をせこせこ崩して、記事一本分の動画を選んだ。一息つこうと思ってtwitterを覗いたら、動画でも個人的にも私を一番励ましてくれたPが鬱屈している様子だった。視界の端にきな臭い話題が目に入ったので確認したら、一番最初から見ていたPが休止していた。這々の体で、この一年一番たくさん見ている大好きなPの動画を見ようと思ったら動画非表示。パーン、ってなった頭を抱えて不貞寝。次の日帰宅してネットに繋げば、数日前から怪しい様子だった別のPがブログを消していた。それでも日常は続く。
 そんな感じだ。

 例えじゃなくて、現実なんだけどさ。

それはまあ、単にきっかけにすぎなくて、たまたまそれで自分が鬱モードになるスイッチが入ってしまったというだけのこと。その人たちに何か言いたいわけではないんですが。いや、触れたい話題がそこにあるからこんな記事を書いているわけでもありますけれど。このブログ、言及した本人の目に触れる可能性が充分にある環境下で書いているわけで、私がここに書いたことが誰かへのプレッシャーになってほしくない、という気持ちは強くあります。休みたい時、辛い時はやっぱり休むのが一番ですから。
私自身、アイマスに関してある程度楽になれたのは、自分はこうあらねばならない、イツイツまでにナニナニしないといけない、自分は周りに取り残されるんじゃないか、などというあせりや強迫から少し自由になれて、「いつか」「そのうち」でいいんじゃないか、という気分になってからだったので。私は人を励ます、元気づけるみたいな行為がとても苦手で、一方的に動画から元気をもらってばかりなので、そのくらいしか言えることはありません。

それはそれとして、私個人の中の問題としては、せこせこ動画を見て変わり映えのしない言葉を連ねて、とやっている間に自分の一番大切なものはどんどん消えていくと、つまるところ私は一体何のために何をやっているんだろうという疑問がふと浮かんでしまうわけで。自分のためにやっている筈なんですけどねえ。そうして自分の感情のはけ口のためにこういう文章を書いてしまうわけで、ここまで読んでいる方がいるならば、まったく迷惑をおかけしている限りであります。
そう、たとえば「いつかもう一度会えたら」とかね、そういう希望があれば、それだけでいいんですけどね。別に希望が実現するかどうかは問題ではなくて、希望だけあれば良いんです。動画がそこにある、というのはそれだけで希望であり喜びそのものです。9.18の時、引退するけど動画は残すよ、と言ってくれた、あるPの言葉がどれだけ嬉しかったか。

あ、締めるモードに入っていたけど、もう一個ネタを思い出した。
物事一般、過程は千差万別でも結末にそんなにバリエーションはないもので、ニコマスPのニコマス的生涯もだいたいそんな感じですよね。最後にどんなことを言ってどんな風に去るか、というエピローグは大体みんな似てくるものです。

誰かが、何かから決別します、と宣言する時よくあるパターンとして、たとえば「もうこんな場所(ブログ、作品、etc.)誰も来ないだろうけど(から)」とか「俺のことなんて誰も覚えていないだろうけど」的な発言があって、まあ、なめとんのか貴様、という話ですけれども、読者的にはね。

多分、人が終末の方向を向く時、世界は我を理解すること無し、世界に我と気持ちを分かち合うもの無し、という気分が普遍的に生じます。
9.18以来、ニコマスに限らずアイマスに関係する文章はそれなりに読んだつもりですが、目についたのは、自分はアイマス2を受け入れられなくて非常に苦しんでいる。なのに世間はそういう苦しみを感じないか忘れてしまったかのように明後日の方向へ行ってしまっている。そういう気分を抱いた人の文章です。そっくり似たことを考えている人があちこちにいて、その一人一人が自分は世界にただ一人であると感じている、という現象がそこにはあった。
だから、『すごろく妄想格納庫(2が出る日まで)』というブログの最後の記事で、私は「サイレントマジョリティ」という言葉について書いた筈です。しかし、自分にしかわからないことを自分にだけわかるように書いた文章に、一体どんな意味があったんでしょうね。

えっと、つまりというのでもないけどちょっと関係ある話として。
某Pがもうこのブログを見に来る人ほとんどいないから近々消すよ、という意味のことを書いたのを私は気づいていて、気づいていてみすみす消滅に立ち会ったんだな。うん、そうですよね、黙って見ているだけのbotか実在の人間かもわからない読者なんて、いないのと同じですと、そういうことですよね。
私は四六時中言っているべきだったんですよ。見てますよ憶えてますよ理解できますよありがとうさようならまたきてねこんにちはおはようおやすみなさい、ってね。いなくなった後で、こんなところで愚痴愚痴言ったってしょうがねぇんだ。参るわ。




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ありがとう。ただただ、嬉しいです。
ご心配をおかけしてしまってごめんなさい。

せっかくコメントをいただいたので補足というか。
記事の最後の方のくだりは、私自身にも読者がいてくださるという立場上ちょっと良くない文面だなと自分で思っていたのですが、うまく代わりの表現が思いつきませんであのままにしてしまいました。私自身は、面と向かって言われずとも、日々読んでくださる方のあたたかいお気持ちに支えられているとひしひし感じておりますので、その点ご心配なさらないでくださいというか、言葉が足りませんでした。

あまり詳しく内容に触れるのもなんですので、一言だけ言わせていただくならば、あなたのような方がいてくださることを私は知っているので、私は大丈夫ですよ、ということです。
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