はるかは じゅもんをとなえた!(完結編)


長過ぎて自分でも息切れ感が否めませんが、とりあえずこれで終わりです。前編から読み直してみるといろいろと訂正が必要な箇所がありますが、気力があったら明日以降に直すかもしれません。文章のくどさ読みにくさについては、もうアキラメました。


私たちはなぜ、 ”ひとりぼっちの春香" が救済される物語を鑑賞して、「泣ける」と言うのでしょうか。「春香は幸せになるべきだ」と言うのでしょうか。

『「LiveForYou(歌をあなたに)」(following 永遠の嘘をついてくれ3)』は語ります。
「歌をうたうことが好きです」
「聞いている人を幸せにできるからです」

「どうして君の歌は
 人を幸せな気持ちにできるんだろう?」
「それはね、君が歌う姿が好きだからだよ」
「みんな君のことが 
 大好きだからなんだよ」

うたうことが好きな春香が歌う姿が好きだから、人を幸せにできる歌を歌ってくれるから、だから「みんな君のことが大好き」。

それは本当でしょうか? 
ならば、「みんな」は春香に、「人を幸せにできる」歌をいつまでも歌い続けてほしいのでしょうか? 

しかし、この言葉はこう続くのです。

「だけど、もういいんだ
 君は自分の幸せのためだけに歌っていい」
 君の愛する、ただ一人のために」


私達がこれらの物語を通じて望み続けているのは、春香が「みんなのため」に歌うことではありません。春香が、「ただ一人」を愛するために生きることを、求めているのです。春香が「人を幸せに」するために、「歌が好き」だから歌うことは、そんな少女ですら、本当は「ただ一人」のために歌うことを望んでいる、ということを対比的に見せる上で意味を持ちます。
従って、こうした物語において "アイドルであること" と "16歳の一人の女の子であること" は、完全に区別できる二項対立の項目であって、そして優先されるべきは "一人の女の子としての気持ち" でなければなりません。

「私、プロデューサーさんのそばにいる時が、
 一番、幸せなんですっ。一番、輝けるんです…」
「プロデューサーさんだけが、
 私を輝かせることができるんです。」
(『アイドルマスター「永遠の嘘をついてくれ」featuring春香』)

「春香はもう、一人前のアイドルだ。(中略)俺の力がなくても春香はやっていけるだけの力がある。」
「私もプロデューサーさん以外の人とじゃ嫌。プロデューサーさんがいい。」
「プロデューサーさんの夢…、壊しちゃ… 駄目だよね。」
「トップアイドルで居続けなきゃ」
(『iM@Sでラブコメ作ろうとしたらテラしくじった[春香]』)

「今のプロデューサーには悪いけど、やっぱり私にはあの人しかいない。」
「私……、今は、アイドル天海春香を演じてるだけだから」
「誰のせいでこうなったかと思っているんですか? きっと、春香の心はボロボロですよ」
「いいか、春香の夢は『トップアイドルになって走り続ける』っていう純粋なものだ。」
(『【NovelsM@ster】『雨空』』)

「あなた達は、離ればなれになっちゃいけないんです。」
「いますぐ……春香ちゃんを、捕まえてあげてください」
(『春香の願い、小鳥の願い』)

「あの言葉で元気をもらったんです。
 それだけで頑張ってこれたんです・・・」
「もっと頑張るって決めたから
 ここでやめちゃったら 何のために765プロを離れたのか
 わからないですよね」
「代わりなんて  いないんです 誰も」
(『【アイドルマスター】糸』)

「もう 春香はひとりでも大丈夫だ」
「ひとりじゃ 無理ですよ…」
(『【アイドルマスター】糸電話 天海春香』)


"ひとりぼっちの春香の救済” をめぐる我々の自意識は、これらの言葉に凝縮されている。そう言っていいのではないでしょうか。
いつでも、どんな時でも「プロデューサーさん」だけを、すなわちあなただけを、わたしだけを愛してくれる ”ひとりぼっちの春香" 。振られようが新しいプロデューサーが来ようがいつまでも同じ場所でループし続けようが、あなただけを、わたしだけを見つめてくれる女の子。あなたなしでは、わたしなしでは歌うことも喜ぶことも出来ない女の子。

私達は春香に、そうあってほしいと望んでいる。と、書くと、何かそこに歪んだ特殊な構造があるかのようですが。
ここに顕われているのは、私達がアイドルに対して抱いている普遍的な願望であって。自分がプロデュースした女の子に、自分が好きになった女の子に、いつまでも自分のことを忘れないでいてほしい、自分のことを好きであって欲しい。自分がアイマスで為した何かが、永遠に確かなものであってほしい。それは、春香を好きかどうか、とかどれだけ春香のことを知っているかどうか、とか、それどころか対象がゲームだからとか二次創作だからとかいうこととも関わりなく生ずる、本質的で自然な感情でしょう。勿論、それは春香好きを自認する人、春香のPである人の中にも、根本的な原動力として観察し得るでしょう。(もっと言えば、より赤裸々な「春香を我ただ一人のものとしたい」という欲望は、春香Pの内にこそ存在するでしょう。)ですから私は、「本当に春香のためを思うならば、いつまでも春香をPに縛り付けるべきではない」(この表現自体、本来私の使う言葉としてはあり得ないものですが)などとは思いません。
そして春香ドーム成功EDは、そうした私たちの願望に応える結末を用意しています。すなわち、

「変わるわけないですっ。 プロデューサーさんは、
 今も、そして、これからも……」
「私にとって、生涯ただ一人の、代わりの
 きかない人ですから」

という言葉。他ならぬアイドル自身による、私たちが「変わるわけ」なく、「生涯ただ一人の」「代わりのきかない人」であるという保証。こちらから酷い言葉を春香に浴びせ、「お互い別の道を」ゆき「気持ちが変わってなければ」と条件をつけて、という手続きは、この言葉の確からしさを高めます。そして春香ドーム成功EDは、この後「またいつか」「ありがとうございました」というやりとりを挟んで終わります。すなわちここが終着点で、ここでの春香の言葉がゲームの中で将来的に否定されたり上書きされることは、原理的にあり得ません。たとえ『アイドルマスター2』がパラレルワールドでなく無印に直接接続する未来、という設定をとっていたとしても、アーケード・無印の春香ストーリーがここを終着とした、という事実が打ち消されるわけではありません。

16歳の春香さんは、ニコマスにおいてさまざまな役割を果たしていました。それらはいずれ、2の世界のうちに代替する存在を見出し、あるいは単純に供給と需要とを失って消えていくでしょう。けれども、『アイドルマスター2』によって代替することができず、しかも今なお必要とされているものが一つだけあります。それこそが「生涯ただ一人の、代わりのきかない人です」という保証の言葉で、故に無印春香ドームEDを源とする物語は、今後とも必要とされ続けるのではないか。それが、『糸電話』を見て私の考えたことでした。
しかしその一方で、月日の流れは確実に、かつてのような ”ひとりぼっちの春香の救済" の物語の成立を難しくしています。『「永遠に嘘をついてくれ」』の時代、それは、ニコマスの一つのイコンとなり得る物語でした。『春香の願い、小鳥の願い』前編もまた、少なくともそれはそこに集う「みんな」の共有する物語である、という形を取り得ていました。しかし、『春香の願い、小鳥の願い』中編は前編よりずっと再生数が少なく、『アイドルマスター 糸』に全編付き合えた人に至ってはごく一握りです。そこには各作品の表現手法の違いもあるでしょうが、 "不遇で不憫なニコマスの春香" "みんなが春香ドーム成功EDを体験して負ったトラウマ” といった文脈が薄れた時、剥き出しになる "キャラクターをひとりぼっちにして物語に縛り付ける" という物語の性格自体が見る者にとってのストレスである、ということの顕れでもあるでしょう。

ここに、2010年において『さよならメモリーズ』が、2011年において『糸電話』がニコマスに存在する意義があります。消費し尽くされ、演出し尽くされ、剥き出しにすればストレスを生む、しかし我々の潜在的欲求に応える物語。それを、いかに現在性を帯び、ストレスなく「泣ける」「感動できる」エンターテインメントとして作品化するか。そういう難しいタスクを見事に果たしたのが両作品であったと思います。


以下、私個人にとっての『糸電話』の意味を、簡単に書いておきます。いや、そこが本題だろという話ですが、どうにも私自身が息切れしてしまっているので。

まあ、そういうわけなので、私個人としては、特段この動画のストーリーについて思うことはないわけです。Pの行動はあれでいいのかとか、黒いシルエットの人物の気持ちはどうなんだとか、あれはハッピーエンドなのかとか、そこらへんはまあ、どうであってもよくて。
それはこの動画に始まったことでもなくて、私は無印アイマスとアイマス2の関係を扱った動画のテーマは、本来その二つの関係だけに縛られるものではないと思っています。逆に、アイマス2と全く関係ない世界を取り扱った動画からも、アイマス2に対する疑義や解答は提示されている、とも。ただ、この動画は、無印とアイマス2の狭間で苦しみを体験した人の間に共有しうる何かを見せているし、実際にこの動画に感動し救われている人がいる、それでいいんじゃないでしょうか。

で、私にとって、この動画の何が一番重要なのかといえば、春香さんのステージが素敵だということであります。当今、このスノーストロベリーの春香さんのえろ可愛さを堪能させてくれる動画は貴重でございますからね。アップになった春香さんの目線が隠されていることにどんな意味があるかと言えば、口元から首筋、肩周りから胸元に至る、このスノスト春香さんの中核的露出部分が強調されて実に眼福だという、重大な意味があります。そこのところを厳密に話をするためにはスノスト春香さんについて頭のてっぺんからつま先まで詳細に観察してこの身体と被服の究極の調和について考察する必要がありますが、収拾がつかなくなるのでやめましょう。んで、16歳の春香さんはえろ可愛いし、17歳の春香さんの表情は最高だし、一粒で2度美味しい春香さんの魅力のつまったステージがここにあります、と。一番大事なのはそこですね。(もっとも、有数の少年P動画の観察者であるところの結ばれし友よPから見れば「ざらついた印象」を受けたそうで、そのあたり、春香さんが見られさえすればいい私の観察が緩いのは致し方のないところです。)

春香さんから離れて動画そのものに目を向ければ、6分20秒を飽きさせないこの構成力とか、分業と協業によって互いの強みを引き出して昇華するという、合作としての理想的な構築のされ方とかありますけれど、いうまでもないことでもあり、既にそこを記事にされている方もあるので。


そんなところで、本来書くことを予定していた話は大体終了なのですが、のろのろ書いているうちにまたちょっと新たな状況が加わったので、それについても書いておきます。

そもそも、物事の間に因果関係がある、というのは人間の思い込みでしかありません。二つの出来事があったら、その間を結んで物語を作る。それが思考というものの普遍的な営みであって、物事の中に物語を見出すのは、人間を人間たらしめる所以の行動です。
つまるところそれは全て思い込みなので、春香さんはずっと私を慕い続けてくれる、というのは思い込みですし、そう思い込まれることで春香さんは苦しんでいる、というのもまた思い込みです。同様に、1の春香さんと2の春香さんは連続している、というのが一個の思想なら、1の春香さんと2の春香さんは別「人」である、というのもまた一個の思想です。
物語を構築するのは、科学、宗教、文学の仕事で、そこに疑義を挟むのは哲学の仕事になるのでしょうが、誰もがいつでも何に対しても哲学者である必要はないでしょうと。私のバイブルは既に3年前、「性格なんて頭の中で勝手に作り上げりゃいい」と動画の中でのたまわっています。その言葉が本当のところどんな感情と思考から生まれてきたのか、私にはまだわかっていませんが。

どうもフォローするどころか更に土台を掘り崩しているだけのような気がしますが、何の話かと言うと、私は『そろそろ時間切れ』さんのこの記事が好きなんですよ。そして元気づけられた。およそアイマス2が出てから今まで読んだ文章の中で、一番好きな文章かもしれない。
シンゴさんと私では、アイマス2への対し方も、動画への感想も、春香さんへの考え方も180度違っていますが、しかし私は私とは違うシンゴさんのこの結論が大好きですし、この言葉を、そしてその次の記事の言葉をも書けるシンゴさんを敬愛しています。だから、おこがましい言い方になりますが、その言葉を無碍に自分で否定してほしくないのですよ。

「自分の中で1の春香と2の春香は同じだった。
 違う春香であって、同じ春香。」

と。そう感じたのなら、その気持ちこそが真実です。理屈と膏薬は後から付いてくるものです。
どこまでも自分の勝手な思い込みで作り上げる世界。早くもう一度プロデュースしたいという気持ち。なんと素敵じゃありませんか。その先にこそ、春香さんはいますよ。


結ばれし友よP インディビジュアリスト (H.K.B. session) (10/10/17)


ひとりぼっちでもかまわない、気にしない春香さん。


散髪屋P 【アイドルマスター】春香/フレ!フレ!大丈夫【CHI-MEY】 (10/12/7)


「プロデューサーさん、これからも一緒に頑張りましょうね!」な春香さん。


Laikuu氏 アイドルマスター2 春香 なるとキバメガネ (11/6/11)


なるとでキバでメガネな春香さん。関係ありませんが、このキバをみるといつも、春香さん自分の唇を噛みやしないかとハラハラしますね。





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No title

はじめまして。少年Pと申します。
このたびは、こんな壮大な記事に私たちの動画のこともおりまぜてくださってホント恐縮です。ありがとうございました。
前編・中編・後編といったときには、「完結編で糾弾されるのではないか」と正直びびってましたw
今回私たちの作った動画にしろほかのニコマスと呼ばれるものは、観てくれたみなさんそれぞれで思い・感じていただければいいのかなぁと思ってます。一応、作り手側はそれなりの思いがあって作っているので、それをどこまで伝えられるかというところに腐心するわけですが・・・。
ただ、まあ、自分たちの作ったものがいい意味でも悪い意味でも観てくれたみなさんにとって何かのきっかけになったのかもしれないということは、本当にうれしいです。(何かのきっかけになったと勝手に思っているだけかもしれませんがw)
前編・中編・後編・完結編と本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

No title

お久しぶりです。シンゴです。

全四回に渡る記事、大変お疲れ様でした。
どのような形で纏められるのだろうと気になっていましたが、
最後の辺りで見慣れた単語が出てきたので驚きましたw

自分に言い聞かせるために書いた文だったのですがこんなレスポンスまで頂いて、
何だか一体どちらが元気づけられてるのか。
これじゃもの凄く私が落ち込んでるみたいじゃないですか!やだー!
ていうか自分はとっとと春香プロデュースしてこいっていう話ですね^^;


…今回の記事で、過去にこんなにも多くの
「ひとりぼっちの春香の物語」が作られてきたのかと、驚きました。
取り上げられた物語の中には、自分が春香の存在を知るきっかけになったものもあれば、
今の今まで存在すら知らなかったものもありました。

ただもしその作品の存在に気付いていたとしても、自分は今まで見てきた作品の他に
「ひとりぼっちの春香」を見たいとは思わなかっただろうなと思います。
やはりそれは、「物語の性格自体が見る者にとってのストレスである」ということを
無意識のうちに感じていたのかもしれません。
自分も初めのうちは「ひとりぼっちの春香」の物語を「消費」していた時期が
あったことを考えると、随分とムシの良い話ですが。

(すごろくさんの文章はたまに直接的な表現がありハラハラしますが、
 一方で自分の思いを代弁されたかのように溜飲が下がる時があります)

自分の中でさえ見方が変わるというのに、ましてや他人であれば。
私とすごろくさんの見方も違えば、他のプロデューサーそれぞれ見方が違って、
本来当たり前のことではあるのですが。

プロデューサーの数だけ物語があるのが、私がアイマスを好きな理由の一つなのですが
自分の世界を大事にしようと考えすぎるとどうもグルグルしてしまう悪い癖があってw

自分含め、皆がそれぞれの方法で春香を愛でられればいいんだ、と改めて思いました。
いや前までもそう思っていたつもりなのですが、再認識したと言いますか。


なんだか我ながらどうにも心もとない感じではありますが、
「糸電話」がもう一回春香プロデュースしてこようと思うきっかけになったのは事実なので。

(おじゃましているコメント欄の中で述べるのはふさわしくないかもしれませんが)
自分の中の世界を押し広げてくれた少年P、トカチP、DSPの御三方に
目一杯の敬意と感謝を捧げつつ、またアイマス2に触れてこようと思います。

そして違う視座から語られる文章が自分の見方に及ぼす影響を、今後も楽しみにしています。

長々と自分語りすみません。皆さんありがとうございました。

Re: No title

少年P、いらっしゃいませ!
御覧の通り、動画をダシに使って個人的な繰り言を連ねたような記事でございまして、作者に読んでいただきあたたかいコメントまでいただけるということに、こちらこそ恐縮の限りでございます。記事中、無礼な物言いが多々ありましたこと、ご寛恕いただければと思います。

動画の意味を語る時、「作り手がどう考えて動画を作ったか」「動画がどのように受容されている(と自分は考えるか。またそれに対してどう思う)か」「自分がこの動画を動考えるか」の3つの視点があると思います。本記事は基本的に、2番目の受容のされ方の問題を中心に扱っているにも関わらず、そこを明示していなかったり途中でブレて視点が不明確になっているところがあって、あまりよろしくなかったな、と反省しています。また私のブログ全般の傾向として、作り手側の思いを汲み取る努力は初めから放棄して、自分の見たいものを見る、という方向性があるのですが、そうした自分の立ち位置は明示して記事を書くべきだったな、と思います。

で、肝心の私自身がこの作品をどう思ったかについて、この完結編で書きました通り、そこを書き始めた時には既に息切れしてしまって、充分に書けなかったのですが。
なかなか適切な表現が思い浮かばないのですが、少年Pの作られる動画は、私にとって問いかけを含んだ動画なのです。動画作者の中には、私にとって動画の中にあるものが隅から隅まで楽しめるというか体に馴染むというか、そういう動画を作られる方もいるのですが、少年Pの動画は私の中でただ楽しいですねいい動画ですねと言って素通りできないもの、すぐにはしっくりと来ないものを投げかけてきていて、その投げかけられているものを私がどう受容して私の中にどう位置づけるか、という自分の中での思索や葛藤まで含めて、私は少年Pの動画を楽しませていただいております。そういうものを自分に対して投げかけていると私が感じられる動画はそうそう無くて、それは私にとってとても大事なことなのです。
ですから、この記事は、文面としては色々他の内容に割かれていてそうはなっていないのですが、本質的な目的としては私が「糸電話」という動画の位置をどう自分の中で位置づけるかという心理的な模索であって、その結論だけを抜き出したのが、ステージ上の春香さんが魅力的であるという部分です。その結論に至る過程は結局パーソナルな心情の問題なので、書いた所で他人にお読みいただける内容にはならなかったでしょうが、この結論は私にとっての「糸電話」という動画の大切さであり、賞賛を表すものであるという旨、申し述べておきます。

返信にかこつけてパーソナルな弁解と補足を垂れ流すような内容になってしまいましたが、コメント、本当にありがとうございました。
素晴らしい作品をありがとうございました。今後のご活動も楽しみにしております。


Re: No title

シンゴさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます!

結局の所、シンゴさんのあの記事が素晴らしかった! とそれが言いたかっただけのことでありまして、従いましてレスポンスのような文面を取りながらトラックバックにするでもなく、長ったらしい記事の終わりに付けクァ得るような形で書いてしまい、ご足労をおかけいたしましてすみませんでした。

「ひとりぼっちの春香」の物語については、私自身もこうして調べ直して見直すことで、いろいろと考えさせられ、見方の変わるところがありました。私自身の心情としても、あえてそういう物語をこれ以上見たいとは思わないのですが、なぜそれを見たくないのか、ストレスに感じるのか、というところをもう少し突き詰めて考えてみると、自分自身の内側にある欲望や偏見に行き着いてしまいました。この記事も含めて、私が何かを主張しようとするとどうしても他者を攻撃し否定する方向に走ってしまいがちなのですが、結局本当に私が子否定したがっているものは自分の内側にあると。まあそのあたりを正面から書く勇気は結局出なかったので、自己弁護や曖昧な表現をふんだんに盛り込んだ記事になったのですが、まあ一歩でも半歩でも自分の中で前進できたと思う部分はあるので良かったかな、と。

直接的な表現…ソンナコトハ、ナイデスヨ?(棒) まあ、直接的で極端な言葉は、知らないからこそ、周りが見えていないからこそ書ける部分があるわけで、物をよく知り視野が広くなればなるほど、普通は滅多なことは書けなくなります。なので、視聴者としても書き手としても浅くて狭い私だからこそ、怖い物知らずの勢いで書けることはあるだろう、と意識して書いている部分はあります。いつもハラハラさせてごめんなさい(笑)。ただ、そういう極端な思い込みの言葉は、溜飲が下がると言っていただける場合がある一方で、人を傷つけ否定する暴力性を常に持って居るわけで、そこへの認識と覚悟をもっときちんと持たなければなあ、と思っています。

自分の世界を大事にしようと考えすぎてグルグルしてしまう、それもまた良し、だと思います。人によってアイマスと向き合う道が違うだけじゃなくて、自分の中でもその道は曲がりくねったりいくつもあったりしてもいいんじゃないか、と最近思うようになりました。迷走してもいい、同じ所に何度も戻ってもいい、後から思うと「なんであんな馬鹿なことをかんがえていたんだろう」と思うような見解を持ってしまってもいい。現に私は、未だ「アイドルマスター2」をプロデュースする段階に至ってすらいないにもかかわらず、日々迷走mindです(笑…?)。
そういう意味では、「もう一回春香をプロデュースしてこよう」と言えるシンゴさんを羨望してもおります。私も、これが私にとっての17歳の春香さんですよ、私ももう一度春香さんをプロデュースしますよ、といずれ言えるようになりたいですね。

どうも私は記事の中できちんとそういうことを言えないのですが、私も「糸電話」の作者御三方に、また様々な視点から文章を書かれた多くの方に、敬意と感謝を捧げます。

では、今後もシンゴさんのプロデュースと模索を楽しみにしております。
本当に、ありがとうございました!


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