卓m@sterial Old West


わけのわからんタイトルは、「開拓者」に「フロンティアの消滅」をひっかけた駄洒落タイトルをつけようとして、無惨に失敗した結果であります。

そんなわけで、かねて噂に聞いていた開拓流行れPの『レーゼルドーンの開拓者たち』シリーズが、近々削除されるという話を小耳に挟み、貧乏人根性で全話見てきました。
せっかく見てきたので、思い浮かんだことをいくらか書き留めておきます。動画と出会った感動は、ちっとやそっとのことで忘れるものではありませんが、その中で何がどうなっていたかなんてディテールはすぐにわからなくなってしまいますから。もっとも、ストーリーのどこがどうで、みたいな詳細を書くつもりはありません。

開拓流行れP 【im@s×SW2.0】レーゼルドーンの開拓者たち:00-01【卓ゲM@Ster】 (11/1/21~)
 (11/1/21~連載中)



 そもそも、私にとって実質的に卓ゲm@sterの世界初経験というべき視聴体験だったので、まずその話を。
 私がこれまで見たTRPGものの卓m@sは、ゴブ弱いP(ほうとうの具P)の【卓M@S】あずささんと良識人たちの宴【SW2.0】(10/9/23~連載中)と、万年Pの【卓ゲm@ster】「ゲームマスターになりたい!」【旧版SW】に始まるGM伊織シリーズ(10/4/4~10/10/20連載中断)だけです。(あとハワード・PとかザッPとか見てますが、多分どちらも卓m@sとしてはいろいろと規格外だと思うので)
 で、どちらも、ノベマスや架空戦記を読んできた文法でそのまま読める感じの作品だったんですね。ほうとうの具Pはまあ、卓m@sに進出する前からずっと追っていた作者なので、その世界に馴染めるのは当然なんですが、万年Pの作品も感触的には似た感じでした。卓m@sだということを特別に意識しなくても、"伊織と仲間たちのノベマス"として、いつも読んでいるものと同じ感覚で読めるというか。その辺り、今回初見の『レーゼルドーンの開拓者たち』は、今まで選り好みして見てきた動画とは随分勝手が違って、最初は苦戦しました。
 あからさまに言えば、私はTRPGのリプレイ動画が見たいと思って卓m@sを見ているのでは全然ないわけです。この作者はアイドルをどんな風に描いてどう動かすんだろう、アイドルと物語世界をどう融合させるんだろう、とアイドルを中心に物語を見ている。
 そうすると、動画を追っていて、ハウスルールの作り込み凄いな、とかGMのマスタリングすごいな、とかPLのプレイイングも凄いな、と感心はするのだけれど、それがアイドルとどう結びついているかがピンとこないので、心でのめりこんで面白がるのではなく、全て頭で処理して理解することになってしまう。より具体的に言ってしまえば、PC発言のどこにどんな風に、演じているアイドルのアイドルらしさが表れているのかが見えない。どうかすると、GMやPLも「このセッションでマスタリングしてるGM」「このPCを演じているPL」としか感じられなくて、演じているアイドルと結びつかない。だから、アイマスの物語を楽しもうと思っている自分としてはのめり込むことが出来ない。
 誤解のないように言っておきますが、私は、この作品はアイドルが描けてないとか、卓m@sのキャラは原作無視であるとか、そういうことを言っているのでは全くありません。話はその正反対で、つまり、卓m@sにおいてアイマスのアイマスらしさがどのように立ち表れてくるかという文法、そして前提知識(このアイドルはこういうプレイスタイルで描かれることが多い、どこの作品ではあのネタが定番になっている、等)が私の中になかったのです。そこで、ああなるほど、ノベマスを見ない人にはノベマスがこんな風に見えるんだろうな、と勉強になった部分がありました。
 自分なりにその文法が獲得できて(言語の習得がそうであるように、それは気づくといつのまにか身に付いているものですが)、ああ、今はもう何の違和感もなく動画の世界にを馴染めているな、と感じられたのは、8章か9章あたりだったでしょうか。(時間の経過も関係あるかもしれません。1日目に半分くらいを一気見して、次の日に1章分を見終わったあたりでそう感じたのです。もっとじっくり1話1話を追っていたらもっと早く馴染めていた可能性もあるでしょう)
 そんなわけで、まあ見られるうちに見なければという動機づけがなかったら、本当に楽しめるようになる前に視聴をやめてしまっていただろうと思いますが、おかげさまで、今後は結構いろんな卓m@sを最初から楽しめるんじゃないかなあ、という気はしています。


 内容について、ごく簡単に、フィーリング的なものを。
 シリーズ物には、おお、今この物語はどんどん高みへ上り詰めているぞ、どこまで行ってしまうんだ! という高揚の瞬間があるものです。平たく言ってしまえば、山場。このシリーズで言えば15章、とりわけ【iM@S×SW2.0】レーゼルドーンの開拓者たち:15-03【卓ゲM@Ster】(11/4/26)のラスボス・デライラとの戦闘に至る流れなど、その無二の高揚を感じる回でしたね。

 おどろおどろしく未知の恐怖に満ちた異世界、制御のきかない群衆を率いて進むという圧倒的困難。その困難を突きつけてくる世界に対して、彼女ら・彼ららしい信念を貫き智力を尽くして立ち向かうPCたち。そしてまったく同様に揺るぎなく、しかしながらいかに認め合おうとも決して相容れることのない信念と、その信念を具現化する力を備えた強敵、デライラ。これこそが敵、これこそが燃えでないと言うならば、一体何がそれに当たろう。この瞬間を見んがためにこそ、私は物語を見ているのだ。
 さて、しかし、こうして私がこの物語のここまでの到達点だと思っているこの回は、この回だけに依って成立するのではない。この章を単体で取り出して人に見せたとて、その人には私が味わったのと同じ感動は生じ得ないであろう。それがシリーズ作品というもののなんとも面倒な所であり、そして贅沢な所である。
 異世界に飛ぶ15章は、この物語における非日常である。依頼をこなしながら開拓地を成長させていく、14章48話に渉るそこまでの物語は、(PL側に戦術的なミスあるいは不運があれば即ちに死の危険がある、というシビアな緊張感に満ちた世界でありながら、なお)いわば全てが一繋がりの、巨大な日常である。(無論ミクロ的に見れば、各回での依頼・戦いは、その回における非日常である)その膨大な日常の積み重ねが、非日常世界において、登場人物を血肉の通ったキャラクターとする輪郭を、帰りたい・守りたいと感じさせる場所を、依って立つ行動原理を与える。
 故に、初期の緊張感あふれる特殊部隊ばりの奇襲戦闘、PCの成長に従って次第に圧倒的な火力による消化試合と化していく後期の戦闘、毎度の不幸な人探しと布教活動、セッション前後の成長報告とやり取り(就中、亜美とGM真美のルールやシナリオをめぐる機知に富んだ会話は、短い中に双方の個性と才知が凝縮されていて、真に素晴らしい)、凛々しいスコール(伊織)やハードボイルドで抜け目ないダリア(亜美)等々のキャラクター描写、重厚で格調高い会話文(会話だけでなく、GM真美による状況描写の、日記・手記の訳文を思わせる歯切れの良さは特筆もので、このような骨法正しい文章はニコマスであと3,4の例しか見覚えがない  Cf. 「14-01」の【状況説明】)音楽や冒頭の画像の小ネタ、それら全ての細部は、圧倒的な高揚を生み出すラストバトルと全く等価に特別であり、その全てが繋がって『レーゼルドーンの開拓者たち』という物語を形作っている。
 美は細部に宿り、しかし細部は細部のみで意味を成すのではなく、全てが繋がり合って世界となって美を体現するのである。そしてそれは、たとえ動画が消えたとしてもそうなのだ。その繋がりを感じることのできた我々は、真に幸福であると言わねばならない。


 卓m@sでもいずれ、動画が消えていくことをはじめ、ニコマスの既存サブジャンルで問題になっていることが頭をもたげてくるのは間違いないので、最後にそのことを少し。
 作者が上げた動画をどうするかは、言うまでもなく作者の精神と物理的な問題でしかなく、視聴者側に干渉の余地はありません。動画を上げるリスクやコストを背負えなくなった、動画を上げることが自分の良心や意図に反すると感じるようになった、動画を上げるのが嫌になった、何が理由であれ他人がどうすることもできないことだし、真意がどこにあるかを当て推量することにも意味がない。理由があった方が視聴者が納得しやすいというだけでね。私は作者が何を考えているかを知ろうとも思いませんし、それをどうしようとも思いません。
 ただ、私が言えることは、この動画はとても幸福な動画なんだということです。本当にクオリティの高い、本当に面白い動画が毎週のように上がって、それを楽しみにしている大勢の人がいて、その人たちみんなが動画にコメントして楽しい時間と空間を共有する。
 クオリティの高い動画があったらそうなるのは当たり前でしょ、と言いたいところだけれども、ちっとも当たり前じゃないのが世の中なので。どれだけ良い作品が生み出されても、それが世に知られず楽しまれないことは当たり前にあって、そこには作者の力だけでは如何ともしがたい、運や時代の流れの力が圧倒的に強く働いている。だから、楽しい動画にそれを楽しむコメントがたくさんついて、みんなが楽しんでいるという空間は、本当に奇跡そのものの宝物なんですよ。
 たとえば呂凱PなりタミフルPなりストレートPなり、かつてたくさんの人が楽しんでいた動画がその時に現れず、今になって投稿されたとします。現在のノベマスや架空戦記の動員力や技術動向を考えると、かつては実際にそうであったように、今それらの動画をたくさんの人が見て楽しむ状況が生まれるかと言ったら、とても疑わしいわけです。だけど、今これからそれらの動画を見ようとする人でも、かつてと同じようにその空間を楽しむことは可能で、それは動画についたコメントが、その動画が時代の流れの中に在った時の空間をそのまま保存しているからですね。
 今回、私が開拓流行れPの動画を楽しむことができたのも、まさにそのコメントの働きがあったからでした。コメント群の熱気が、動画が出現した時の卓m@s界の盛り上がりを、新作を追っていく喜びを、動画の楽しみ方を共有させてくれたわけです。『レーゼルドーンの開拓者たち』には毎回付いてきた何百何千というコメントがあって、それは全て開拓流行れPという作者とその創造物に宛てられていた。そうやって、作者と作品を中心に一つの空間が出来ていた。奇跡的な幸福の空間、と呼ばずになんと呼ぶべきでしょう。
 不便な事にというか、残念ながら、コメントと、動画とコメントが織りなしていた空間は、動画と切り離された瞬間に死んでしまいます。動画の本体は、作者の再UPなり、リメイクなり、あるいは無断転載、そうでなくても作者のその後の活動や視聴者の記憶によって再現継続していく手立てがありますが、コメントとそこに現出する空間は、その時その場所にあったあるsm番号の映像に固有のものなので。
 だから、これは作者に向かって言うのはおこがましいし、視聴者に対しては言ってもどうしようもないことなので、誰にでもなく確認するだけです。ここには一度失われたら絶対に戻ることのない、この世に唯一の宝物がありましたね、と。それを見ることのできた私は幸福でした、と書き留めて、一応の結びとしておきます。



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