考えていたら腹が立ってきたので


誕生祭に上げようとした記事がちーっとも完成せず泣けそうなので、とりあえずなんか違うことを書こうと思い、

・誕生祭にふさわしくmusePとKenjoPの新作をほんわかと楽しむ記事
・このブログにふさわしくジェットPと吊…氏の消えた春香動画について鬱々と愚痴る記事

の2案を思いつきましたが、それとは別に自分の中でわだかまっているストレス的なものの正体について分析した結果、この動画が原因だと判明したので、それについて適当に書き散らかします。

アイドルマスター あっというま劇場「ある日の光景 ゆきぽ編」 (08/7/24)
アイドルマスター あっというま劇場「ある日の光景 はるるん編」 (08/9/12)



 なかなか的確に表す言葉を思いつけないのだが、物語のキャラクターについて語る時、

・作品構造上の、キャラクターの動き
・シナリオ上での、キャラクターの動き
・読者の心理上での、キャラクターの動き

の三つくらいに分けて考えると整理しやすいかと思っている。
 たとえば、亜美と真美について、「亜美と真美のうち、いつも真美だけが忘れられたりかわいそうな目にあったりする」というストーリーがニコマスにたくさんあったとする。「真美っていつも不憫だよね」という感想はシナリオレベルでの亜美真美の動きに対する評価である。「でもニコマスでは実際は亜美の方が不憫だよ」という批評は、(多くの読者がシナリオレベルで物語を見ていると想定した上での)読者の心理レベルでの亜美真美の動きに対する評価である。
 すなわち、シナリオレベルで「不憫な仕打ちをされる」という真美の扱いは、作品構造上では読者に印象づけやすい・同情を引きやすい・出番が多くなるといったプラスの機能を持っていて、亜美と真美の扱いを比較する時、シナリオレベルで比較するか、構造レベルで比較するか、最終的に読者の心理上に投影された二人を想像して比較するか、によってどちらが不憫かは変わってくる、ということ。


 そんなわけで、『あっというま劇場』の春香さんである。

 『あっというま劇場』において、春香ほどに優遇されているキャラクターはいない。
 まず、キャラクター造型において春香は優遇されている。多くのキャラクターが大なり小なり特殊な性癖・計算高さ・おバカキャラ等の、読者の感情移入を阻害しやすい性格付け(過剰性のある性格付け、と私は総称している)を与えられている中で、春香はそうした性格付けが行なわれていない数少ないキャラクターの一人である。えーと、ここで、ストレートP一門の春香っていうのはあれでしょ、みんな(笑)で不憫でアレな子なんでしょ、と思っている人はいるかもしれないけれど、これが私の認識。
 次に、春香は出番が多い。しかも読者の印象に残りやすい、おいしいポジションでの出番が多い。プロデューサーとアイドルのやりとりがメインになるこのシリーズにおいて、Pと春香のやりとりに焦点が当てられた主演回が3本もある(「ある日の光景 はるるん編」「ある晴れた秋の昼下がり」「FUNNY IDOL'S HEAVEN」)。他の回での登場も、メインエピソードの主役が他キャラクターであるにも関わらず締めのエピソードが春香だったり(「ある日の光景 ゆきぽ編」)、春香の登場がエピソードの起承転結の転(「良い子悪い子普通の子」)や結(「雪歩のイケない課外授業」)に当たったりと、もはやメインヒロインと読んでも差し支えないレベルである。

 さて、ここで難しいのが、このシリーズが、多数のキャラクターを持つ作品、なかんずく「アイドルマスター」の2次創作である、ということである。誰かを優遇するということは、すなわち誰かが不遇になるということ。いみじくも「不憫な子を一人救うと、別の子が不憫になる」と書いたのは憂鬱Pだったが、まさにその通りである。そして、アイドルマスターのアイドルたちは、各々に強い愛着を持つファンを抱えているし、そうでなくても、特定のアイドルが不遇だったり ”キャラ崩壊” したりすることを望まない思いが広く共有されている。
 ここで、特定のアイドルを優遇しておいしい役回りを与える、という行為が問題になる。該当アイドルはエピソードの中心に来ることが多いのだから、読者の感情移入を呼び起こすような存在でなくてはならない。ところが、不遇だったり変態化していたりするアイドルがいる中で優遇されているという状態は、読者の感情移入を阻害しやすく、これに矛盾する。
 こういう見方も出来るかもしれない。『あっというま劇場』は、ニコマスにおけるライト層・新規層の視聴者をかなり多く呼び込んで視聴者層を形成していた(私自身が、そうした新規層の視聴者の一人であった)。従って、コメント群の過半は、アイドルやアイマスへの思い入れの少ない視聴者によって構成されたから、アイドルの優遇不遇に対する不満の声は顕在化しにくくかったのだ、と。
 だが、その場合でも、問題の本質は同じである。優遇されるキャラクターが、前提知識・思い入れのない視聴者にとっても感情移入できる存在でなければならない。

 では、『あっというま劇場』随一の優遇されたアイドル、春香は視聴者からどのような評価を得たか。
 「春香は不憫」である。なんと、不憫、すなわち同情できる存在であり、ひいては応援したくなるような存在である、というのが、視聴者に投影された『あっというま劇場』の春香だったのだ。(このあたりは印象論でしか語りえないが、少なくとも当時のコメント群から、『あっというま劇場』の春香は視聴者の広範囲から共感を勝ち得、好意的に見られていると私は感じていた。)優遇しているのに、視聴者には不憫だと感じさせる。この魔法を成立させるのが、春香(だけ)がPから恋愛対象として見られない、というからくりである。

・Pは多くのアイドルにとって恋愛対象である
・Pもほとんどのアイドルを恋愛対象として見ている
・春香もPが好きである
・春香のみPの恋愛対象ではない

 ここに、一人だけアウトオブ眼中の春香さん不憫、という図式が成立する。もっとも、話の主眼を『あっというま劇場』の春香さんの魅力、という点におくならば、むしろ本題はここから先(不憫な扱い即応援される、というほど視聴者の心理は単純ではない)なのだが、それは置いておく。
 この「春香は不憫」ギミックは、別の観点からも重要である。『あっというま劇場』はアイドルへのセクハラ行為が代名詞でありウリだが、我々はそうしたシーンを鑑賞したいというリビドーを持っている一方で、心理的には、動画内のPによる性的な行動にアイドルが晒されることを嫌悪している。セクハラ行為自体がネタとして楽しまれているように表面上は見えるストレートP作品とて、同じことである。そういう視聴者の嫌悪感が閾値を越えて顕在化したのが、「つまみぐいは是か非か」の回であったろう。
 シナリオ上、Pのセクハラ行為が成立するのは、対象となるアイドルもPを好きで、Pの行動は基本的に全て受け入れられるからである。従ってイニシアチブはPの側にあって、アイドルがどれくらいのセクハラに晒されるかはPの(ひいては動画作者の)さじ加減ひとつである。そして、実際に、歯止めを掛けなければここまでは行くし、もっと行くこともできるがどうなんだ? という作者からの提示・脅迫・探り針となった回が「つまみぐいは是か非か」だったわけだ。

 このように、Pの胸先三寸で(好意を持つ)アイドルをいかようにでも出来る、という状況下で、ただ一人Pの影響下にいないのが、春香である。
 春香は恋愛対象ではなく、セクハラ行為の対象にはならない。それでいて、Pとの距離は極めて近い。なにしろ「キャラ設定編」で「最もPと息の合う女」と断言されているくらいである。このことはまた、視聴者が春香に親近感を感じやすい、ということでもある。動画内のPは一個のキャラクターであるが、同時に顔のない視点人物として、視聴者が自己を投影してアイドルとの関係を思い描く窓口(すなわちゲーム本編におけるプロデューサー)の機能も持っているからだ。そして、春香だけはPと性的関係を結ぶ可能性がなく、いつまでも現在の関係性を保持し、永遠に視聴者のものであってくれる。
 このことはPと春香二人だけではなく、他のアイドルとPとの関係上も意味を持つ。つまり雪歩なり千早なりがPと恋愛・性愛にまつわるやりとりをしている時、それはいくらでもエスカレートしていく可能性を秘めているが、そこに春香を登場させることで、関係を進行させるやりとりは中断してしまう。それが端的に表現されたのが「雪歩のイケない課外授業」で、こうして他のアイドルとのやりとりに出てくるだけでオチになり、しかも視聴者に安心を与える、という春香の機能が確立する。

 『あっというま劇場』の本質は、不変の日常にある。一人の顔のない男と、たくさんの可愛い女の子が、恋愛しているんだかしていないんだかよくわからないグレーの状態のまま面白可笑しい会話を続ける、その空気を楽しむ。ところが同時に、連続したストーリー性を持つ作品の側面もあって、Pとアイドル双方のアプローチによって、次第にその関係性は緩やかながらも変化していく。ところが、その変化の先には、常に性的な関係への移行が視界に入っている。視聴者の心理上、変化が進行してほしいかどうかは、とても微妙であるわけだ。不変の日常と、それが変化するストーリーとの間をたゆたう作品にあって、Pとの不変で絶対的な関係性をもつ春香は、不動点となって常に日常を保持することが出来る。春香の登場はオチであるが、同時にPの(性的な)私有物になりかけたアイドルたちがPのコントロールから解放され、日常が回復する瞬間でもある。
 同時にそれは、春香単体の物語ならば、いくらでもストーリーを進行させて構わないということでもある。それが、キャラクター造型上は優遇されている雪歩や真美から、春香を差別化する。雪歩や真美はPの恋愛対象となりうるが故に、彼女たちの恋を描ききってしまうとPとの関係が生じてしまう。が、春香ならば、その恋を究極まで描いたとしてもその心配がいらない。

 『あっというま劇場』の春香は、成長しない。いつでも、春香は春香である。徹頭徹尾Pが好きで、Pと他のアイドルの間にどんな関係が結ばれようと、諦めず、心が折れず、一人で立ち上がれる。そんな春香を称して、我々は「ストレートPの春香は強い」とコメントした。その「強さ」を彼女は初めから終わりまで保持し続けるので、彼女は物語上成長や獲得を必要としない。それは多分、『あっというま劇場』の日常性と深く関わりあっている。
 成長しないということは、つまり欠損を必要としないということである。世の物語の作者と読者にしばしば見受けられる誤解として、キャラクターに欠損(人格的欠陥、過去のトラウマ、コンプレックス等)を設けてそれを解消する、これ即ち成長の物語であるという勘違いがあって、いや、それも物語の作り方の一つであることは確かだが、それだけが成長じゃないよ、と私は思っているのだが、まあそれは脱線。
 一応言い添えておくならば、春香が「強い」のは、彼女が、物語が始まった時点で既に挫折を経験していて、この先の挫折をも覚悟しているからで、「成長しない」という言い方は不適当かもしれない。直前までPとのデートを夢想(妄想ではなく夢想がふさわしい)していても、仲良さそうなPと千早の姿を目撃して「千早ちゃん美人だし…」という分析が出来、「四方八方モテまくりなのは百も承知」という台詞が吐け、Pのお世辞に対して「どれくらい本当でした?」とすら言うことが出来ながら、なお「貴方の事を想うと、胸がズキズキ」するのが、『あっというま劇場』の春香である。

 いい感じに話が混沌としてきたので、ざっくりとまとめる。『あっというま劇場』の春香とPの間には、特権的で特別な関係性、一番近くて一番遠い、特殊で絶対的な関係が結ばれている。この関係と、関係を前提に構築されたキャラクター付け。この仕掛けによって、作品構造上は圧倒的に優遇され、シナリオ上は不憫で、視聴者の心理上は応援したくなる、そんなヒロインが成立し、2年半ばかり前、私はそれに見事にだまくらかされて、そんな視聴者の一人になったわけである。


 余談というか、この記事のきっかけみたいな話。

 春香といえば音程、音程といえば春香。「大腸のジェラシー」と通称される著名なライブ音源は、ノベマスでも実に活躍していて、大腸音源を使用した有名なノベマス作品をざっと上げただけで、実に錚々たる傑作群が並ぶことになります。当然ながらと言うべきか、『あっというま劇場』にも音程ネタはあって、「FUNNY IDOL'S HEAVEN」冒頭で出てくる

「このアイドル、歌番組とかで何度か 歌を聞いた覚えがありますが、 なんというか、その、」
「ちょっと残念な」(大文字)
「歌唱力をお持ちになられていたと 記憶しています」
「まあ、CDの場合はスタジオ収録とは 違って、そう酷い事にはならないだろうと~(後略)」

という一連の台詞がそれ。
 …なんだけど、大腸音源を使っていないんですね、ストレートP。「relations」 REM@STER-A音源がこの台詞の後に流れて、ストレートPは『歌姫奇譚』でもわっほいネタを出しているので、わっほいがお気に入りだったのは間違いないだろうけれど、春香の歌声をネタにするなら誰もが真っ先に思いつくであろう、そして簡単にウケを取れるであろうライブ音源を使わなかったのが、ちょっと面白い。
 もう一つ、春香の歌が劇中で流れるシーンがあります。(他にもあるかもしれないけど確認するのが面倒くさい)「ある日の光景 ゆきぽ編」で、春香の出番は最後1分間ほどの、本編とは関係ないおまけのシーンだけなんだけど、そのシーン中流れているのが、「太陽のジェラシー」。本編と関係ない話を始めるにあたって、普段の非アイマスのBGMからこれに切り替える事でシーンの転換を明示する意味と、あと春香がPとサシで出る最初のエピソードだということも関係があるのかもしれない。いずれにしても、他のアイドルの公式曲音源が劇中で使われた覚えはない(※)ので、特殊な扱いなのは確かだと思う。
 で、それ春香さんのジェラシーが来たぞ、と、ズコー・音程さん関連のコメントがうわっとつくニコマスの日常光景が現出して、今もそれは見ることが出来るんだけど。これ、MA音源なのよね、ライブ音源じゃなくて。ここでもまたライブ音源を使っていないということは、少なくともBGMで積極的にウケを狙いにいったシーンではない筈。なので、ああ春香のジェラシーは全部ズコーなんだよね、笑っとけ、という人はこれで笑っておけばいいし、別にそう思っていない人はそう思わなければいいという、解釈が視聴者の側に任されたシーンになったわけです、結果的には。

(※ 確認したら、やっぱりありました。)

 なんでこのシーンの話をしたかというと、初めて見た時、「ズコー」のコメの意味がさっぱりわからなくて、「太陽のジェラシー」の音源を探して、ぽりぺくんPの動画を知って惚れ込んだと。それが私と春香さん動画の出会いの始まりだったわけです。ブログを始めた時にも書きましたが。
 つまりね、ここでストレートPがライブ音源を使っていたら、ああ音程が酷いっていうネタなのね、とその場で私にも意味がわかって、元ネタを探る必要なんかなかったんですよ。未だにこうして私は春香さんについてチクチクと書いたり見たりしていますが、なんだ、元を辿れば結局、全部こいつのせいじゃないか。いや、よく考えなくても最初からわかっていたことですけどね。しかし改めてそのことに思い至ったらなんか腹が立ってきたので、こんな記事を書いたわけです。

 私は今もノベマスをそこそこ見続けていてます。で、なるべく自分の一番嫌な部分は表に出さないよう努力はしているつもりですが、心の中ではいろんなことに対していろんな忿懣が渦巻いています。ですが、それでも私がノベマスの春香さんという存在を信仰できるのは、結局一番最初に『あっというま劇場』の春香さんがいるからなのでしょうね。
 ほらね、大体全部こいつのせいだ。もう一人、大体全部こいつのせいだと断言できる人がいるけど、それはまた別の話。

 「アイドルマスター あっというま劇場「ある日の光景 ゆきぽ編」」おまけのシーンは、私がこの世で一番好きな歌と歌声を、最初に聴いた場所でした。なんでここでそれが流れていたのか、私には知る由もありません。それはストレートPの春香への愛ですね、と言い切ってしまうといろいろと語弊があるので、それは読者の心理を自在に操るストレートPの狡猾な技術ですね、と言っておきましょう。

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