神の怒り、もしくは籤引きについて。 及び、神への信仰について


 ニコ動において、権利者と運営に消えろと宣われたものは抵抗の余地なく消えるしかないわけで、ようはニコ動における神そのものですね。もっとも運営にとってはニコ動ユーザーはお客様でもあるので、顧客としてユーザー側が運営に対して何らかの影響力を行使することは可能ですが、権利者に対してはそうではありません。そして、これはこの前に上げた記事でも書きましたが、創作者というものは大概、受容者が大真面目に考え込んで真理だと思っているような事は、ごく適当にしか考えていないものです。
 くらわんPのノーマルPV全員分がどれだけアイマスの魅力をニコ動ユーザーに知らしめているか、というようなことはニコマスの中にいる人間にとっては自明のことで、あたかもニコマスをも利用して成長してきたかのようにも見えていたアイマスの権利者は、当然そういうことも理解していると我々は錯覚しがちになるわけですが、多分そうやって我々が思い込んでいるほど、彼らは受容者の目線まで降りてニコマスを深く観察も理解もしてはいません。
 まあニコマスとアイマス公式の間には何か特殊な関係が結ばれていると思うから話がややこしくなるので、MADが削除されずに生き残る理由なんてごく単純です。権利侵害を探し出して削除するにも何らかのコストがかかるから、たまたまそのコストを権利者が払う気がない場合は残るだけで、それは権利者の気分次第でどうとでも変わることです。んで、神というものは、人間から見れば常に気まぐれで理不尽な存在だと決まっていますからね。ぴっかりPのアイマス歌劇団のように、たまたま人間のやっていることが神の気まぐれな好みと一致することがありますが、要するにそれは偶然の産物です。
 だから、自分が権利侵害物をあげる当事者となる時に、神の怒りになるだけ触れないよう神の行動に法則性を見出そうとする、という行為には意味があると思いますが、それ以上の何らかの考察を今回の事件から導こうとすることにはあんまり意味がないんじゃないかなあ、と私なんかは思います。


 んー、で、書こうと思っていた本題はこれじゃなくて、二次創作における原作リスペクトとか原作愛って何だろう、というようなことを書こうかと思っていたのですが。何かいろいろとセンシティブに対処しなければならない問題になってしまった気がするので、多くは書きません。
 ただ、二次創作者当人が二次創作に原作へのリスペクトをどれだけこめたつもりであろうが、あるいはあの二次創作には原作愛が籠っているねと受容者側がいかに褒めようが、権利者から見れば侵害物であることに何の変わりもありませんよね。現に、およそニコマスの中の人間ならば、くらわんPや翼Pはアイマス愛がない、アイマスをリスペクトしていない、などとはまず思わないでしょうが、権利者から見ればそれがどうしたの、という話だったわけです。受容者の中で、二次創作は原作をリスペクトしたものであれとか二次創作者は原作を愛するべきという意見を言いたい人は、自分がリスペクトしてほしいと思っている対象は本当のところ一体何なのか、ということをちょっと考えてもいいんじゃないかな、と思います。
 私個人の意見としては、全ての二次創作は、例外なく権利侵害物であり同時に二次創作者の表現物であって、それ以上の何かでもそれ以下の何かでもありません。権利侵害物である以上、そこには必ず侵害するリスクというものが生じます。それは場合によっては単に消されるにとどまらず法的にあるいは社会的に何らかの報復を受けるリスクを含んでいるし、自分のみならず権利侵害物を享受するコミュニティ全体に不利益をもたらすリスクも含んでいます。二次創作者、あるいは二次創作物の受容者が気にすべき事は、そのリスクにどう対処するかということだけであって、二次創作の内部に何らかの区別や善悪が存在するという発想は個人が作り上げる幻想でしかないというのが私の意見です。

 
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