さかちーP「僕がアイドル?【記憶喪失もの】」を視聴して: 「お約束」の裏側

 
 『アイドルマスターDS』の各ルートのストーリーを生かした作品に定評のある、さかちーPの新作、『【Novelsm@ster】 僕がアイドル? 【記憶喪失もの】』が、8/22投稿の後編で完結しました。タイトル通り、876プロのアイドル、秋月涼が記憶喪失になってしまうお話です。

さかちーP 【Novelsm@ster】 僕がアイドル? 前編 【記憶喪失もの】 (10/8/8)


【Novelsm@ster】 僕がアイドル? 中編 【記憶喪失もの】 (10/8/15)


【Novelsm@ster】 僕がアイドル? 後編 【記憶喪失もの】 (10/8/22)


 ゲーム「アイドルマスター」はフィクションですから、マジメに考えたらありえない漫画的な設定もいろいろあります。DSにおける涼の、「従姉と所属事務所の社長とマネージャーの陰謀で、男であることを隠して女装し、アイドルをやっている」という設定などその最たるものですが、しかしそれが公式の設定なのですから、2次創作であるノベマスの多くにおいても、登場人物はその設定を前提として描かれますし、視聴者もそれを当然のこととして受け入れています。
 では、もし登場人物の思考から、その設定が当然という前提を無くしてしまったら? ということで、この作品は「涼が記憶喪失になった」という設定を加えることで、常識と公式設定とのギャップを見事に生かしたストーリーになっています。
 記憶喪失前の状況への涼の突っ込みの正当さにひたすら笑える前編、女装への慣れがなくなってドタバタしつつ、なかなか倒錯的なシチュエーションの着替えが描かれたりする中編、アイドルを演じられない涼の穴を埋めるためにステージで奮闘する仲間の姿をきっかけに涼の心情が変化していく後編と、笑いあり・感動あり・2828ありの大変充実した作品です。

 また、律子と涼の関係を描いた過去作

秋月涼とアイドルりっちゃん ~男心と写真集~ (10/7/19)


と内容がリンクしているので、こちらも視聴していると一層楽しめます。

 さて、同作品を視聴していて個人的に思ったことなど。物語の本筋とあんまり関係ないです。本編のネタバレを含みますので、視聴済みの方のみ御覧下さい。




 先にも述べましたが、我々は涼の設定が常識的にありえないことを理解していますが、それはそれとして、DSの物語の中ではその設定を当然の前提知識として受け入れています。また一方、作者が述べていらっしゃる通り「記憶喪失もの」が2次創作のお約束であることも、我々は知識として知っていて、それがどういう形で解決されそうかということも、なんとなく想像できるわけです。
 従って、我々は視聴する際、冒頭の会話から推定して、この物語の設定(と展開)はこのようであろう、と予断を持つことになります。

・女装アイドルに関する涼の設定は、この物語の中でも正しい事実である
・その涼が、設定に関する記憶を失っている
・物語は、涼が正しい記憶を回復することで解決するだろう

 この点で、視聴者の立場は、同様に女装アイドル設定が事実であると「覚えて」いて、涼の記憶が回復されるべきであると考えている、主人公以外の登場人物の視点と重なりやすいと言えます。
 しかし、女装アイドル設定が正しいという前提知識を持たない、この物語の主人公にとってだけは、上記のことは自明の事実ではありません。

 私が、この作品が記憶喪失ものとして非常に優れていると思う点は、登場人物間での前提知識の差から来る「涼の記憶喪失」という事件への反応の違い、とりわけ何が正しいか判断する基準を失っている主人公の心理を、丁寧に描写しているところです。そして、この物語の中で一番興味を惹かれたのが、中編の後半、主人公が、自分は本当は秋月涼ではなく涼太郎なのではないか、と口にし、律子に

「違うわよ、あんたは間違いなく秋月涼」

と否定される場面でした。

 記憶喪失する前の「秋月涼」に関して、物語内で出現する情報を要約すると次のようになります。

①「秋月涼」は男の子であり、学校に通っている
②「秋月涼」は女装してアイドルをやっていて、876事務所に所属する
③「秋月涼」は日常生活においては②の事柄を隠している
④「秋月涼」はアイドル活動時は①の事柄を隠している
⑤ ①~④は全て同一人物で、現在記憶を失っている人物とも同一である
⑥「秋月涼」には涼太郎という生き別れの弟がいる

この物語の設定的な特徴は、③④の結果として、各登場人物の把握している情報内容に大きな差があり、一部の情報は知っている人間が極めて限られている、ということです。

・同級生、先生、両親は①しか知らない
・絵理、尾崎は②しか知らない
・①~⑤を全て知っているのは律子・石川社長・まなみと、記憶喪失する前の「秋月涼」だけである
・⑥を知っているのは愛と、記憶喪失する前の「秋月涼」だけである

 ここで、この物語の主人公の立場に立って考えてみます。彼には①~⑥の情報全てについて等しく、それが正しいかどうかわかりません。物語が進行するに従い、①の人物が存在することは、学校で「男の子の秋月涼」として扱われ、また自分でも覚えていることから確認できます。また、②についても、女装状態の自分が愛や絵理に「アイドルの秋月涼」として扱われることで、その存在を認めます。
 しかし、

・①と②が同一人物であること
・それが「自分」であること
・⑥が事実であること

を確認する手段はありません。①~⑤が真実であると主張する律子、石川社長、まなみの3人の全員について自分自身は「記憶がない」のですから。主人公にとって、①~⑤と、愛だけが真実であると主張する⑥は、情報の確からしさにおいて何の差もないのです。
 我々は我々自身が持っている前提知識から、①~⑤が真であり、⑥が偽であることを前提に、登場人物のやりとりを見ています。従って上記の律子と主人公の会話に際して、律子の主張が真で、記憶を失った涼が誤った推定をしていると判断します。けれども、この時点では物語の中に、我々の前提知識が正しいと保証するものは何もないのです。

 では、たった今、自分は「秋月涼」ではないと疑っている「彼」は、自分の名前すら思い出せない「彼」は、自分の仮説を否定している話し相手が誰かわからない「彼」は、我々が「記憶喪失になった秋月涼」だと思ってずっと見てきた「彼」は、…一体誰なんでしょう?

 そんなことを考えながらこのシーンを見た時、私はこの見慣れた顔グラが、いつも「アイマスの涼」だと思って見てきた顔が、全く知らない何か別のものに見えたのでした。 …マジでストーリーとほとんど関係ないぞ、これ

 愛ちゃんの話とか、律子の話とか、まだちょっと思っていることはありますが、大体上で言った情報の偏りから生じる話の延長なので、まあここらへんまでで。
 




  
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