年末のあれこれ 1


 明日から、普通に動画を語る記事に戻る予定。

 いろんな話を引き合いに出していますが、テーマとしては私の非常にパーソナルな悩みについて書いた、私的な内容の文章です。
 あれこれ、とタイトルにあるのは、いろんな話題をまとめて適当に書いてしまおうと思って書き始めたからです。が、一つの話題について書いただけで終わりました。なので、1と番号を振ってみましたが、続き物の記事ではありません。


VerRock Festival 2010

 公式ブログを読んでいてつくづくと思います。VerRockFestivalというお祭りは、というよりニコマスで行われる企画は全てそうですが、個人の熱意と善意だけから生み出されているんだなあ、と。
 どんなに大きな祭りも、最初は全部、「俺、こんなことやってみてえな」「一緒にやろうぜ」という、バカみたいに熱い個人の想いから始まっています。私は、そういう熱い想いから何かが生み出されることを、本当に素晴らしいことだと思います。
 私はVRFの本放送を、3日間合計で2時間くらいしか見ていませんが、それでもその中で、参加している人たちの途方もない熱量を感じたし、今この場でこれを体験できて良かった、と心の底から感じられる体験をしました。ましてや、3日間ずっとその場にいた人は、もっともっと大きなかけがえのないものを手に入れたでしょう。それは、VRF終了後にVRFでの自分の体験を語る、本当に熱のこもった言葉が次々書かれていることからも窺えます。
 個人の熱意から始まったものが、多くの人を巻き込み、たくさんの人に大きな熱量を伝えた。一つの祭りとして、本当に素晴らしいことを成し遂げたと思います。

 以上がVerRockFestivalという祭りそのものについての私の感想です。


 ここで、VRFに限定されないニコマスのイベントの話を少しします。
 当たり前の話ですが、ニコマスという世界の中で祭り・企画を行えば、その世界に対して大きな影響を及ぼします。そして、ニコマスに居る人たちのかなりの部分はいま、ニコマスの将来に対して不安を感じていると思います。だからこそ、大きな祭りに対して、それがニコマスの現在と未来に希望をもたらすのではないか、と大きな期待を掛けることになります。
 しかし、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるもので、祭りがニコマス全体へ与える影響は、それが多くの人を巻き込めば巻き込むほど、何もかもが良いことづくめで終わるものではなくなります。
 非常に単純な話からすれば、毎日4時間も5時間も生放送を見ていたら、その間それ以外の動画は見られないわけで。見る側にしろ作る側にしろ、ニコマスに現存するリソースははっきりと有限なので、人を集めて祭りをやるということは、つまり有限のリソースをその場所で消費するということです。
 ニコマスの中での祭りを考える時に、どういう形の祭りがニコマスにとって一番理想的なのか。そして、あってほしい祭りの理想像と照らし合わせた時に、今回の祭りはどこが素晴らしくてどこが改善の余地があったのか。そういう議論はこれまでにも行われてきたし、ニコマス全体のリソースに限りがある以上、なされる価値のある議論だと思います。
 ただ、そうすると必然的に、光だけでなく影の部分を語らざるを得なくなるわけで、それが今のニコマスにとって良いことなのかどうか。皆が、希望を持って前を向こう、ここで得たものを糧にして前進しよう、という話をしている時に、水を差すことが正しいのか。
 もう一つ難しいのは、最初にも書いたように、どれだけ大きなイベントも、全ては個人の熱意と努力の賜物であるわけで、影の部分を語ると言っても、市民が権力者に対してするように、あるいは顧客が商人に対してするように、批評や不満をイベントやその運営者にぶつけるのでは話がおかしい。基本的にニコマスを動かしているものは全て個人の善意であって、どこかに不満をぶつけるべき対象が設置されているわけではありません。その中で、どのような言葉を語れば建設的な批判となり得るのか。そもそも、批判を行うこと自体が、個人の熱意を削ぎ、新たな息吹を生みにくくするのではないか。

 最近私は、自分が何を語るべきかで悩む時があって、それは主に、物事の影の部分、ネガティブな部分を言葉にするかどうかが迷う理由になっています。


 そんなこともあって、私はここ数日、VRFについてどんな言葉がニコマスで語られるか、ずっと注目して見ていました。
 まあ、まだエンディングから3日しか経ってない段階で印象を語るのは時期尚早かもしれませんが、予感していた通りと言いましょうか、VRFの光の強さを感じる文章にたくさん出会えました。アイマス好きで良かった、今この場に居て良かった、と仰る方がいたり、長く動画を上げてないPが来年あったら絶対参加するって仰っていたり。
 で、影の方を言葉にする文章は少なかったなあ、と。まあ、人が来すぎて一般会員が追い出されたり動画が流れなかったり、ということへの不満を口にした人はいましたが、それくらいですね。
 私が見た中で、VRFに関連したちょっとトーンの違う文章が、二つありまして、こういう形で紹介するのは不適当かもしれませんが、貼らせていただきます。

オレなにやってんだろ:VRF開幕しているけど
ふぇすてぃばる:♪ え に こ ら む ♪

 上の二つの文章を例外として、言葉としてはVRFのもたらした光を語る言葉が圧倒的に多かった、と。わりと物事の影を言葉にする人でも、今はそれは飲み込んで、祭りに乗るというか祭りを乗せるというか、敢えて挑戦の偉大さを評価する方に専念していると感じました。
 そういう雰囲気を見ていて、こういう感じでいいんじゃないかな、と。皆が祭りを盛り上げて熱を大きくしようと頑張っているんだから、それでいいじゃないか、と。自分も物事の暗い所ばかり見ようとせず、もっと楽しさを盛り上げることを書こう、と思いかけていました。


 昨日、たまたま一人のニコマスPが上げられたばかりの記事を拝見しました。それは、記事を上げられた方のパーソナルな苦悩を語る記事でもありましたが、同時に今のニコマスに対する危惧を、本当に率直に、ストレートに言葉にされた記事でもありました。それを読んで私は、嬉しく、そして同時にショックを受けました。
 嬉しかったのは、書かれるべき文章が書かれたと感じたからです。記事に対して何を感じるか、何が正しく何が間違っていると思うかは人によって千差万別でしょう。だからこそ、その言葉はより深くニコマスについて考え、愛する礎になります。そういう言葉を投げてくれた人がいたことが嬉しかった。
 ショックだったのは、それが作り手から出てきた言葉だったからです。書き手である私自身がニコマスに対して何も書かずに黙っている時に、ニコマスに居ることを苦しいと感じ、ニコマスに対して言葉を投げかけなければならなかった作り手がいる、そのことがショックでした。
 

 私はニコマスを動かす熱意を、それが生む熱量を全面的に肯定し、賞賛します。
 同時に、ほんのわずかとはいえニコマスについて書いてみて、楽しいという感情、感動したという心の動きを言葉に表すことがどれだけ大変で、どれだけ偉大なことであるか、強く実感しています。ましてや、どんな時でも楽しさを、感動を言葉にし続けることが、どれだけ困難でどれだけ価値のあることであるかを。
 その努力を営々と続けている人たちを、私は本当に尊敬し、憧れ、誇りに思っています。
 けれども、光の在る所には影が在り、影が在るからこそ光が意味を持ちます。だから私個人の選択としては、これからも、光のみを言葉にするのではなく、光と影、両方を忘れずに言葉にしていきたいと決めました。それをどのような言葉によって果たすべきかは、まだ暗中模索ですが。

 
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