"ノベマスデビュー" 雑感


 PVの見せ方、みたいな話が流行っているから…、という事と本当は何の関係もなく、単に今書こうという衝動が起こったからですが。別にここ最近の傾向と対策とかではなく、2年ばかりノベマスとノベマスにまつわる議論を読んできての自分の感想を。まあ、書かずもがなのことばかりですが、自分自身を満足させるために。


 私がノベマスを視聴し始めたのは08年秋で、つまりタミフルP・ストレートP・ペデューサーPの作品が界隈を席巻していた時期であった。
 タミ・スト・ペドの三人はその作品から、大量のパーツをノベマス界にばら撒いた。「変態だが仕事はできるプロデューサー」という様式であったり、「フヒ歩」というキャラクター造型であったり、「名前欄をいじる」という表現手法であったり、具体的なギャグやネタであったり。そういう有形無形の様々なパーツを、彼らは視聴者の中に共通言語として植え付けた。そしてその視聴者の中から、新たなノベマスPが次々現れた。
 自身がストレートPのフォロワーであるペデューサーP自体も含め、事故米P・かぶとむしP・憂鬱Pなど、第1世代ストレートPフォロワー、第1世代ペデューサーPフォロワーとも言うべき人々に共通する、作品構築の在り方的なものを想像してみる。
 言い方は悪いが、彼らは、自分がタミストペド三Pのばら撒いたパーツの上に乗っかった存在でしかないことをよく理解していて、その上で如何にして自分の独自性を打ち出し、己のポジションを確保するかを模索していたのだと思う。
 もちろん、そこには時期的に先行する者の優位も歴然と働いている。「変態ではないが仕事しないプロデューサー」「ガチムチネタを入れる」という機軸を最初に打ち出したPは、それだけでオリジナルの地位を占め得るが、たとえば1ヶ月遅れて同じ発想を全く独自に考案したPがいたとしても、後者はもはやそのコンセプトだけでは固有のポジションを築けない。

 以上は誰がどのパーツを設計し、誰がそれを利用して作品を構築したかがはっきりと追跡できる、特殊な事例である。しかし、ニコマス視聴者の中に共通認識として存在するパーツを利用し、それを組み合わせて創作が行われるのは、いわばニコマス全体の特徴である。
 05年から5年の間に、公式・同人作品・掲示板・ニコマス作品等々がばら撒いてきた、大量のパーツがニコマスに内包されている。既製品のパーツを利用することで、作者は視聴者と共通の言語・共通の文脈で作品を届けられ、また自身で独自のパーツを構築することに割くリソースを省ける。それは新規参入の間口を広くし、多様な人材がニコマスで創作活動を行える土壌となっている。

 さて。
 個々のパーツが成立する過程は千差万別で、たとえばキャラクターを造型するパーツを考えてみると、「胸がないことを悩む千早」とか「プロデューサーに猛アタックする春香」などというパーツは、あまりにも広く普及していて、誰がオリジナルだとかどこが出所だとか言えるものではないだろう。
 一方で、たとえば「やたらと草を生やす千早」「ウゼェを連発する律子」というパーツだったら、誰が出所になったかは明瞭であろう。(まあ、ダイアルアップPなわけですが。)
 例えば、ここで私が、自分でもノベマスを書きたい! と考えたとしよう。
 私が書きたいのは、
"事務所が舞台のほのぼのコメディ。プロデューサーは真面目だけどちょっと抜けている。真美は不憫、あずささんはキング、春香はプロデューサー好き好き、社長は楽器で、765プロはいつもにぎやか、だけどみんな仲良し"
という話だ! だけどこの設定ではギャグ要素が不足している気がする。もっと笑いを入れたい。そうだ! 「草を生やす千早」と「ウゼェを連発する律子」を登場させよう! 
 さて、どうなるか。
 まあ十中八九、私の書いた千早と律子は私が期待したような効果を上げられず、視聴者に唐突な印象や不快感すら与えるかもしれない。以前述べたように、ダイアルアップPにおける「F91」「りっさん」などのキャラクター造型は、ネット上の仮想人格同士の会話というギミックを挟むことで機能している。その作品構造なしに、いきなり事務所の中で「ウゼェ」を連発する律子を登場させ、それを視聴者に納得させるには何か工夫が要りそうである。
 私は集めたパーツからオリジナルな作品を生み出すつもりだったのだが、このままでは視聴者からは、寄せ集めただけのガラクタの山に見えてしまうかもしれない。拾ってきたパーツが元来どんな構造の中でどのように機能していたのか、そのパーツをどう使ったら自己の作品中で機能させられるのかの分析なしに、漫然とパーツを使ってしまったのが私の失敗であった。

 今でっちあげた私の作例は、極端なものである。しかしながら、誰もがペデューサーPのように、すっきりぽんPのように、ダイアルアップPのように、介党鱈Pのように、デビューした初っ端から完璧にパーツを使いこなし、自分で新しいパーツを生み出し得るわけではない。これもまた、事実である。オリジナルな工夫を入れようと必死に頑張って考えたのに、視聴者からは "寄せ集めただけの山じゃないか" と思われてしまうケースも、ままあるであろう。
 では、そのように思われてデビューしたPには、パーツを使いこなす能力・生み出す能力がないのか。無論、そんなことは全く無い。あからさまに言ってしまえば、私が視聴した中に、最初はどこが面白いのかわからない、何がやりたいのか掴めないと思っていたのが、回を重ねる内に作品の魅力が見えてきたシリーズは、たくさんある。

 デビュー時は見えにくかった作品の魅力が、回を重ねて表出してくる場合、その過程には、3つぐらいの要素があると思われる。
 一つは単純に技術的な部分である。たとえば画質であったり、文字送りの速さや画面レイアウトであったり。あるいは登場人物のしゃべり口調や互いの呼称。あるいは会話の"間"といった目に見えにくい部分も含めて、視聴者にとって違和感・読みにくさを感じさせるものを取り除く技術に、経験を積むうちに作者が長けてくる。
 二つ目は、おそらく創作活動の一番玄妙な部分で、作り続けるうちに自分の個性・自分のやりたいことが明確になってくる、あるいはやりたいことを的確に表現するための言葉が作者の中で成熟してくる、という現象がやはりあるのだろうが、こればかりは作り手ではない私には本当のところはわからない。
 三つ目は、作品を追ううちに視聴者の楽しみ方もまた熟達するということ。回を重ねて最初は未知だった作者の個性・固有の特徴を理解できてくることで、どのように読めばより作品を楽しめるかを視聴者の側も掴んでくるのである。

 初めはパーツを寄せ集めた山にしか見えなかったものが、次第に血が通い、互いに連動し、一つの器官となって脈動する時が、どんな作品にも、どんな作品にも必ず存在する。
 だから私としては、ここまでグダグダ述べてきたことは打っちゃって、とにかく作りたくなったら何でもいいからどんどん作ってデビューしちゃえばいい、作りたいという気持ちが一番大事だよ、と言ってしまいたい所なのだが。


 このあたりで着地してもいいのだけれども。本当に言わでもがなの蛇足を、続けて書いておく。
 
 だけど、現実には見えかけていた魅力の芽を伸ばしきらず、あるいは充分に評価されず、ひっそりと消えていく作品が大量に存在しているわけで。視聴者側のリアクションがもっと増えればいいのかな、という事になるけれど、どうしたらそうなるのかと言うと結局、ニコマス見る人のパイをどう増やすか、アクティブなファンをどう増やすか、という話に行き着いてしまう。
 どちらにしろ、見る側としての結論は同じ。裾野の広さは頂点の高さをもたらすので、結果伸びずに枯れる作品が多量に生まれるとしても、デビューする人は多ければ多いほど有り難い。一将成りて万骨枯る、でも世の中は問題なく回っていくが、将の方になりたい作者はそのための算段をし、将になり得る材が万骨のまま枯れるのを見たくない視聴者は頑張ってリアクションするしかない、と。
 けれども、ニコマスに残り続けている人は、つまり残り続ける意志があって努力をしてきた人なので、私はこの文章を一体どこに届けるつもりで書いたのか。だから、届け先はなく自分の衝動を満足させるため、としか言いようがないのである、この文章は。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Vinegar56%

Author:Vinegar56%

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
全記事一覧

全ての記事を表示する

検索フォーム
リンク
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数: