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名無しのgouzouさん


anond:20200530162811




上に貼った、はてな匿名ダイアリー(いわゆる「増田」)に投稿された記事は、その前にやはり増田に投稿された

もっと早くアイドルマスターを知りたかった

という記事を受けて書かれたもので、twitterでgouzou氏が「書いた」と言っていたのでgouzou氏が書いたということで間違いないんだろうけれども、記事中にはどこにも記名がないし、タイトルもつけられていない。

gouzou氏、あるいはgouzouPは、

はてなで留まってすぐ溶解

↑こういうブログとか、

ただそのために

↑さらにこういうブログとか、

そんなことよりアイマスの話をしようぜ

↑さらにさらにこういうブロマガとか、

gouzouP - ニコニコ大百科

↑あるいはこの大百科記事にまとめられているような動画などなどを作っていた人で、まあここに貼ったものがアイマス/ニコマスにおける氏の活動の全貌かというとそうでもなくて、もはや消えていて見られないものも結構あるんだけど、そのおおよその軌跡は今でも辿ることができる。
さて、しかし、冒頭の増田記事を無記名・無タイトルで投稿した書き手の意図は、そういう、アイマスファン/プロデューサー/ブロガー/動画作者/ツイッタラー/伝道者gouzouPという固有の顔と名前を持った存在として文章を書いたのではなくて、"昔はアイマスと結びついた顔と名前を持っていたけれども、今ではその顔と名前を捨てて無名・無個性な存在となった誰か" として文章を書いた、ということであろう。つまり、この文章の書き手はgouzou氏であってgouzou氏ではない、いわば、"名無しのgouzouさん" である。



かーれるP 春魂 みんな始めはレベル1 【旧1話】 2008年2月28日14時42分
 


ところで、かーれるPの『春魂』シリーズという、ストーリーもののアイマス二次創作動画(いわゆる「NovelsM@ster」)に、通称「名無しさん」(もしくは「名無し春香さん」)というキャラクターが出てくる。名無しさんは絵としてはパンキッシュゴシック衣装を着た天海春香の姿で表され、テキスト上の描写としても、姿かたちは天海春香そのものである。
名無しさんというのは視聴者側がつけた通称で、劇中でこのキャラクターを指し示す時は一貫して、カギカッコにアンダーバーで

『_』

という表記が用いられる。「『_』」では呼びにくいというかキャラクターを指していることがわかりづらいので、視聴者側では「名無しさん」と呼ぶ慣習ができたわけだ。(「視聴者側」と書いたが、そう呼んでいたのは主に私だという説もある。)
劇中で描かれたところによれば、名無しさんは元々はれっきとしたただの天海春香さんだったそうである。ただのアイマスキャラクター「天海春香」が、一生懸命アイドル活動を頑張った結果、なんかいろいろあって「天海春香」であることに絶望して、「天海春香」という名前を捨て、ついでになんか並行世界を渡り歩いたりできる、普通の人間の枠を超えた存在になっちゃったりして誕生したのが、名無しさんこと

『_』

である……。ぶっちゃけ、ここらへんの過去話の展開は私もよく覚えていないのだが、具体的に何があったかはさして重要ではない。大事なのは、

・名無しさんは、「天海春香」であることに絶望して「天海春香」という名前を捨てた、固有の名前を持たない存在である
・名無しさんは、さまざまな物語に登場する "正しくない(二次創作的な)キャラクターづけがされた天海春香" を憎悪し、架空の世界を渡り歩いて、ありとあらゆる物語に登場する "正しくない天海春香" を殺し尽くすことを行動原理としている

という2点だ。『春魂』は基本的には、『ドラゴンクエストⅢ』のパクリっぽい世界で、見た目はアイマスのパクリっぽい、性格とネタは『銀魂』のパクリっぽいキャラクターがギャグをだらだら展開する、なんかよくわかんないノリのコメディなんだけれども、物語の大きな軸として、原作の中の天海春香と二次創作の中の天海春香の関係をめぐる思索があって、ストーリーは次第に、"正しくない春香" を殺し尽くそうとする「『_』」と、"正しくない春香" のいち典型例である主人公「閣下」(通称「ばかっか」)の戦いに収束して、ひとつのクライマックスを迎えることになる。

そんな昔のノベマスの話をして何が言いたかったのかというと、単に冒頭の増田記事を読んで「名無しのgouzouさん」というフレーズが頭をよぎって、そこから『春魂』の名無しさんを連想したというだけで、特に結論はない。
まあ、言いたいことがあるとすると、『春魂』については、この作品の中の、"天海春香の姿形をした、名前のない誰か" が "正しくない春香" を惨殺して、春香さんの死体の山に積み上げる場面はノベマス史上、いいえアイマス史上屈指の美しい場面であって、私はこの場面よりも心が震える、心が洗われるような瞬間を、少なくとも公式のアイマスで味わったことは一度もない、ということと、『春魂』全編を通して、名無しさんは、主人公側である正しくない春香さんや正しい普通の春香さん(劇中でそういう扱いだというだけで、この "普通の春香" も原作の天海春香とは全然似ていない。なお、そもそも "原作の天海春香に似ている" とはどういうことか、という問題については、話せば長くなるので割愛する)よりもずっと気高くて、かっこよくて、美しい存在として描写されている(あるいは、見ていてそういう印象が残る)キャラクターだということ。冒頭の増田記事については、名前があってもなくても、今も昔もgouzouPはかっこいいよね、ということだ。

まあ、gouzouPが、俺の活動は何の意味もなかった! 誰にも影響を与えられなかった! みたいなことを言うのは、それこそ彼がアイマスについて書き始めてからずーっと続いていることで、昔の私はそれに対して、ふざけるなお前の動画と文章でどれだけ読者が心を揺り動かされてきたと思ってるんだ、ということを何度も一生懸命書いたし、他にも何人ものgouzouファン(たくさんいるんだ、これが。)が繰り返しそういう反論をしてきた。今だって、この増田記事だけ読んで、そっかー残念だったねかわいそうだねーとか、うんうんわかるわかるとか、何言ってんだこいつもう少し頑張れよw とか、目も耳も脳味噌もろくに働いていない頭で抜かす奴が居たとしたら、他人の人生舐めてんじゃねえぞこのブログ記事と動画の山塊初めから仕舞いまで全部百遍見て、その知ったふうな口もう一度開いて声を出せるものなら出してみろ、という気分がないことはないが、それがこの文章を書くモチベーションになったわけではない。

いつの頃からか、そうやって、自分自身へ向けられた言葉と思いは一切受け付けず、ひとり営々とアイマスをめぐって悩んで苦しんで世と自分を呪っている彼の姿を(ブログは更新されていないので、主にtwitterで)見ているだけで、今日もこうしてgouzouPが生きて何か考えて何か喋ってくれる、それだけで嬉しいなあ、という心境になってきて、gouzouPの営為に対してどうにか干渉したい、私の望むような方向性の思考に誘導したい、という気持ちは薄れてしまった。
まあ、細かいことを言えば、なぜ世には公式のアイマスを愛せずに攻撃し相対立するアイマスPがたくさんいるのだろう、と嘆く最新バージョンのgouzouPよりも、誰が公式のアイマスには回収できない、アイマスPの闇の部分、負の部分の想いを汲み取るのだろう、と鬱々としていた、少し前のバージョンのgouzouPの方がより私の好みには合っていた、とかあるけれども、そういう、私の好みや予想にはまつろわない変遷も含めて、今日も世界のどこかでgouzouPが生きて、悩んで、苦しんでくれている、なんて素敵なことだろう、と。

『春魂』に、殺そうとつけ狙われている被害者であるところの正しくない春香さんが、加害者であるところの名無しさんを指して、自分は名無しほどに真剣に生きて名無しほどに苦悩してはこなかった、だから自分は名無しの絶望を理解できていないだろう、みたいなことを言う場面があった。
私たちgouzouファンは、gouzouPはなぜこちらの思いをわかってくれないのだとずっと嘆いてきたけれども、逆もまたしかりで、今まで誰も、gouzouPの目に見えている荒野の景色を本当には共有できなかったし、これからもできないのだろう。
単純にアイマスをめぐる活動に注がれた物理的な労力とノウハウの多寡という点においても、そこに籠められた熱意と信念の濃度という点においても、gouzouPに比肩できる存在はいない。それ以上にgouzouPを孤独たらしめているのは、彼の思考のあり方、ものの見方そのものである。先ほど、アンチ公式の想いが渦巻く世界を呪うバージョンのgouzouPと、アンチ公式の側の想いが掬われないままに進んでいく世界を呪うバージョンのgouzouPがいることを書いた。その二面は、みんなが見ない側、見たくないと目を塞いでいる側、見たってしょうがないと放置している側の想いになんとかして光を当てようとしている点で、実は同質である。『春魂』の名無しさんは世界から正しくないものを抹殺しようとする存在だったが、アイマスのgouzouPはいつでも、正しくないと抹殺されていく側、なかったことにされていく側に寄り添おうとする人間なのだ。
きっと、どれだけアイマスをめぐる人々の幸福な姿を彼に向かって見せびらかしてみたところで、その陰で世界にたったひとりだけでも不幸を感じている人のいる限り、そのたったひとりの不幸を見落としている可能性がある限り、gouzouPは絶対に納得せず、満足しないのだろう。逆に言うならば、人は誰でも、アイマスをめぐって不幸を感じている時、たとえ自分ではどんなに孤独だと思っていたとしても、本当はいつでも、確実に世界のどこかにいる誰かに、真摯に想われているのだ。gouzouPという人間に。

私を含め、今までgouzouPに好きだと言った人は何人もいたけれど、誰も、そういうgouzouPの視界を本気で分かち合おうとはしなかった。多分、これからも、それを分かち合える人が出てくるとは思えないし、gouzouPみたいな人が2人も3人もいなければならないとも思わない。ただ、昔の私たちが、(その書き方、向き合い方があれで良かったのかどうかはともかくとして)本気でgouzouPの文章に反応して何か言おうとしていたように、少なくとも、gouzouPが想いを言葉に籠めて放った時に、彼と同じようにアイマスを好きな誰かが、その言葉を正面から受けとめる必要があるんじゃないか、とはずっと思っている。

"正面から受けとめる必要がある" だなんて、お前は何の権限があって誰に向かってそんな指図をしているんだ? というところだけれども、でも、ブログって(ブロマガでも増田でもnoteでもいいけれども)、"書きたいから書く" ものではなくて、"書かなければならないから書く" ものだよね。誰かが絶対に書いておかなければいけないことが目の前にあるのに、誰もそれを書こうとしないから、仕方なしに自分で書く。

だから今でも、私は気持ちとしては、まだ書かなければならないことが無数にあるからブログをやめるわけにはいかないんだ、と思っている。けれども、実際には目の前に "書かなければいけないはずのこと" があってもどんどん見過ごしていく日常を送っているし、どうかすると、それを書かなければいけないんだ、ということすら気づかずに通り過ぎるようになってきている。
そういうわけで、発端の「もっと早くアイドルマスターを知りたかった」の増田記事を読んだ時も、私は "へー、なんか増田に面白いこと書いている人がいるなあ" としか思わなかった。けれども、増田氏の放った言葉に対しては、それを虚空に消えていくままにまかせず、自分の胸で受けとめて言葉を撃ち返した "名無しのgouzouさん" がいて、ではその "名無しのgouzouさん" の言葉は誰が受けとめるのだろう。ああ、名無しのgouzouさんの昔話に合わせて自分も昔話をするくらいのことは今の私でもできるなあ、と思って書いたのがこの記事です。











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