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「サッカー」と、「サッカーのようなもの」(後編)


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2007年9月2日、国立競技場。Jリーグディビジョン1第24節、柏レイソル対横浜F・マリノス、81分。那須大亮に代わって上野良治、投入。"守備をしっかりするため" 1ボランチに那須を先発させた早野宏史監督だったが、試合は開始直後のオウンゴールでレイソルがリードしており、追いかけなければならない状況で早野監督が切った最後のカードが、上野良治だった。久々にピッチに立った上野は、残り10分足らずで逆転を目指さなければならない、急を要する状況の中で、何をしたか? 
彼がしたことは、まったくいつも通りだった。負けていようが残り時間が少なかろうが、決して慌てず、急がず、フィールド全体を見渡して自分が立つべき位置を判定し、確実にポジショニングし、確実にディフェンスする。ボールが来ればきっちり止め、確実にキープし、鋭くパスを通す。そしてまたフィールドを見渡して確実にポジショニングする……。冒頭で触れた藤島大のコラムは、そんな上野の姿を、次のように簡潔に表現している。

「81分、上野良治、登場。
 超然とした佇まい。早すぎぬ判断。」

この年、上野がピッチに現れた回数は少なかったが、現れた時の様子はいつでも、まったくこの文章の通りであった。この日は追いかける展開での投入だったが、もう一つの投入パターンは、マリノスがリードしている試合の最後の数分間、確実に守り切るための守備固め要員であった。たとえば6月16日の清水エスパルス戦、1-0でリードしている状況での80分、FW大島秀夫に代わっての出場である。
そういう時、上野はどんなプレーをするか。任務が守備固めだからと言って、決してボールをどこまでも追いかけ回してがむしゃらに走り回ったりしないし、汗まみれ泥まみれになって体を投げ出してタックルをかましたりもしない。ただ、フィールト全体を見渡してもっとも味方が手薄な場所、もっとも空けてはいけない危険なスペースを埋め、敵が寄ってきた時は絶対に不用意に飛び込まず、相手に抜かせない。そして、ボールと人が動けばまた埋めなければならないスペースに移動し、同じことを繰り返す。いつも通りの、サポーターみんなが知っている、上野良治のプレーである。

けれども、ボールをひたすら追いかけ回す戦法を掲げ、命令通りどこまででも走ってくれるフォワードや、センターバックからコンバートした屈強なボランチを重用するような監督に、そんな "走らない" ボランチの姿は、どう映るだろうか? 巨額の赤字に苦しみ、どうにか理由をつけて値段の張るベテランを切りたくて仕方がないフロントに、そんな "闘志を見せない" 最年長選手の姿は、どう映るだろうか?

誰にでもわかることだ。きっと、このクラブでいま要求されていること、喜ばれるものは、ボールをどこまでも追いかけて走り回るがむしゃらさや、汗まみれ泥まみれになって体を投げ出す勇猛さなのだ。あるいは、負けている時に自分のポジションを捨てて猛然と攻め上がってシュートしてみたり、ひたすらにドリブルで相手を抜こうとしてみたりすれば、なお覚えがめでたかったかもしれない。何も目に見える成果が出なくとも、激しい身振り手振りでチームメイトを叱咤激励し、大声を上げて仲間を鼓舞していれば、"チームに貢献するベテラン" として評価されたかもしれない。
しかし、そこで尊ばれているものは、多分にサッカーのプレーそのものではなく、プレーする人間の "態度" や "キャラクター" である。

上野良治は、"サッカーをプレーする自分" を他人にどうアピールするかに、興味がない。他人が "サッカーをプレーする自分" をどう解釈するかに、関心がない。上野が関心を持つのは、目の前のゲームの中で、何が合理的で必要性のあるプレーなのかということ、いま自分がどんなプレーをしなければならないか、ということだけである。誰かが動き回るのなら、その分誰かが立ち止まって場所を埋めなければならないし、誰かがただ走り回っているならば、その分まで誰かが考えなければならない。自分以外の誰もやっていないのだから、自分がする。それだけなのだ。
件の藤島のコラムにおいて、フランサに仮託して語られた次の一文はまた、この日の上野良治を表したものでもあっただろう。

「ひとりだけ他者の知らない景色を知っている男の孤独。ひとり別の絵の見える才能ゆえの寂しさ。」

この日、たった10分だけピッチに立ち、何の目立つプレーをしたわけでもない選手のことをあえて取り上げて、「上野良治を見たかった。上野良治だけを。」と書いた藤島は、あるいは、その後の彼の運命を、予感していたのではないだろうか。
この試合のあと、上野はベンチメンバーからも外れ、一度も出場機会のないままシーズンを終える。そして12月2日、クラブから、上野良治を戦力外としたことが告知された。退団に際して何らのセレモニーも、本人からのコメントもなく、引退したという発表すらなかったが、翌年以降、彼がユニフォームを着てピッチに立つことは二度となかった。以後、2012年に中町公祐と富澤清太郎を獲得するまで、マリノスは中盤の底でゲームを組み立てられるボランチの不在に苦しむこととなる。

この記事をここまで読まれた方は、私が、2007年の横浜マリノスのことを、ずいぶん悪く書いたと思われるかもしれない。ひょっとすると、私がこの年のチームと監督を嫌っているのではないかと、思われたかもしれない。
私は、2007年のマリノスが好きである。体を張ってボールを収める大島秀夫と縦横無尽に動き回る坂田大輔のFWコンビは、溌剌として機能的だった。ゴールライン際でディフェンスをくぐり抜けてシュートをねじ込む、山瀬功治の十八番が決まる瞬間は痛快だった。田中隼磨、栗原勇蔵、小宮山尊信の若手を中澤佑二と並べた最終ラインは、今後数年のマリノスの屋台骨となってくれるという期待を抱かせた。何人かの選手は間違いなく、私がマリノスで見た中でこの時がいちばん生き生きとしていたし、嵌った時の楽しさと躍動感は格別のものがあった。一方で、いったん相手に長所を消されると、まったくもって脆く、粗く、無策なチームでもあった。
だからこそ、私は悔しくてしょうがないのだ。チームに足りないものを埋めるピースが、たしかにベンチに存在していたのに、クラブがその価値を理解できずに永久に捨て去ってしまったと思うからである。

審判の笛が、長く響く。試合が終わった。
上野良治が去っていく。そのトラップもドリブルもキックも、寸分たりとも狂ってはいないのに。その知性も肉体もハートも、寸分たりとも錆び付いてはいないのに。
今日も、昨日も、十年前も、何一つ変わらないようにボールを止め、明日も、明後日も、十年後も、何一つ変わらずにボールを蹴っていそうな、あのすらりと伸びた立ち姿のままに。
横浜マリノスの背番号6が、ピッチを去っていく。

藤島が、上野良治を語ったコラムを締めるに際して、上野のために書いた一文が、私は今でも忘れられない。

「試合終了。横浜は負けた。
 青シャツの隊列は観客席に挨拶を行なう。上野良治も、日立ケーブルと日立コンサルティングの看板の間を抜けて整列に加わり、お辞儀をした。この人、筆者の推測では、ファンへの儀礼は好きじゃない。ただしファンは好きである。そして「サッカーのようなもの」は大嫌いで「サッカー」が大好きなのだ。」









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